やあやあ、さむらいである。
隔週ペースでお届けしている『さむらい物語』であるが、“2日更新1日休み”と言う、変則的な更新であってもちゃんと、忘れていないのであるw
いよいよ、“ホテルマン篇”も終盤に差し掛かって来たと言える。
お話しを進めていく上で、どうしても外せないお話しを前回させて頂いた。
我輩のような真面目(と思っている)で堅物な人間が、如何にして『スロプロ』を目指すと言う、人道から逸れた道へ進む事が出来たのか、そのきっかけとなった出来事、と言うか、経験のお話しであった。
もし、お読みでない門下生(読者様)の方でも、親近者の生死に関わるデリケートなお話しである為、覚悟を持ってお読み頂きたいと思う。
我輩もこの経験からトラウマではないが、ドラマなどでの同じようなシュチュエーションを見てしまうと、どうしても思い出してしまう。
似たような経験をお持ちの方は思い出させてしまうかも知れないのでスルーして下され。
と言う訳で、本日は通常運転での
『さむらい物語』
をお届けしよう!
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの『過去の記憶や足跡』と『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には“記憶違い”等が含まれている可能性がある事もお断りしておくw
若かりし頃から、『パチスロ』に目覚めたさむらいは将来、
『スロプロ』
になる事を夢に見、決意していた。
しかし、まずは苦労を掛けた両親への感謝の念から、『野望』を胸にホテルへ就職したさむらいは“ベルマン”に配属されたのち、
『ドアマン』
に配置転換されるのであった。
“ドアマン”に配属された事でこれまで無縁であった普通免許を取得し、自家用車も購入。
何より、“ドアマン”の仕事が楽しく、やりがいを感じており、“シフト作成者”として責任ある立場を任されるようにもなった我輩は益々、退職の機を失ってしまうのであった。
当時の『ぱちんこ』は“最大連チャン数5回”と言う、リミッター規制が長らく敷かれていたが、1999年に解除されると規制緩和の動きが強まって行く。
そんな中、『パチスロ業界』は“劇的な進化”を遂げ、“CT機”の登場を皮切りに新基準機と呼ばれる“大量獲得機”、“セブンライン機”、“AT機”と言った新たな機種が続々と登場する。
更には“BIG中のJAC INフラグ”を持ち越す、『シフト持越し機能』を搭載する機種まで現れると、後に“サイレントストック機”と呼ばれる“合法的なストック機”が登場するのであった。
規制緩和と言う動きが進む、『ぱちんこ』であったが、“爆裂AT機”で明らかな盛り上がりを見せる『パチスロ業界』にも暗雲が立ち込める状況になっていく。
前回はこれまでの話しとは異なり、我輩の“人生の転機”となった出来事を綴らせて頂いた。
プライベートでは6年付き合っていた彼女が我輩の携帯を盗み見る姿を目撃してしまう。
かなり、デリケートはお話しであった為、“思い出の機種”での機種紹介はお休みさせて頂いた。
前回の話しをお読みでない門下生(読者様)はこちらから
やあやあ、さむらいである。昨日はお休みを頂戴し、誠に感謝である。記事を作成している段階では梅雨明け宣言も未だされていないのに、週末に台風直撃か?との報道。おそらくは、この台風一過で本格的な梅雨明けとなり、夏が到来すると思われる。[…]
思い出の機種
©山佐
『功夫烈伝』は山佐の4号機である。
こちらでは紹介していないが、山佐が放つ、『功夫淑女』の後継機となる、“功夫シリーズ第2弾”である。
『功夫烈伝』は押し順ナビを順守するだけで誰もが簡単にMAX711枚が獲得出来るストック機である。
ほぼ、“毎BIG711枚”が獲得出来ると言う事で天井は1975Gと、かなり深め。
決まったゲーム数で放出される“テーブル方式”とは異なり、ボーナス後に移行するモードに寄ってストックの放出確率が異なる、“モード移行方式”を採用したストック機であった。
連チャンモードに移行すれば放出確率が“1/50”となり、数珠連に期待出来る。
ハマりモードであれば、放出確率は“1/700”となる為、厳しいハマりが待ち受けるのである。
しかしながら、どこのモードに滞在しているかはわからない為、ボーナス後は連チャンモードに期待し、
200Gを超えたとしてもたまたま、“1/50”を引けていなかっただけかも知れないし、引き戻しモードかも知れぬ。
そんな形でどこで止めて良いのかわからない、難しい機種でありながら好きが講じて打ち続ける事が出来た機種でもある。
演出面では『シーマスター』で採用していた演出用の4thリールである“テトラリール”を採用。
4thリールに巻物、もしくは“パンダ師匠”が停止すると、連続演出に発展し、“パンダ師匠”は停止した時点で激熱となる。
『シーマスター』を紹介した記事はこちらから
やあやあ、さむらいである。早いもので2018年も4月である。4月と言えば、学生であった方が社会に出るなど、新たな生活が始まる方も多いだろう。我輩も過去にはそう言う時期が有ったのであるw1996年にホテルへ就職し、会社の寮へ入り、[…]
“パンダ師匠”が登場した際の
『ほほほい!』
や、失敗した際の
『あわわ~』
には妙に愛着が沸き、我輩もメインのマイホであった富士見会館(現在は閉店し、アークに転身)で良く打っていた。
ストック機で“初万枚”をした我輩にとっては思い出の機種である。
思い出の花火大会
我輩は夏が好きである。
海も好きだし、神輿も好き、お祭りも好きだし、人混みは苦手だが、花火大会も大好きである。
もちろん、ドンちゃんの『ハナビ』も好きw
前々回のお話しで、当時、6年以上お付き合いしていた年上の彼女と、ギクシャクしてしまったお話しをお届けした。
我輩に好意を持っているであろう、後輩との連絡のやりとりを、表向きは『気にせず、やりなよ』と、言っていた彼女であったが、内心は面白く思っていなかったようで、彼女の妹や、お友達から『そう言うのは止めなよ』と、説教されていた。
彼女が嫌なら止めるが、当の本人は『何も後ろめたい事がないなら気にしないからやりな』と、言っていたのである。
この辺は熟読されている門下生の諸君はおわかりだろう。
そんな最中、我輩が入浴中に彼女が携帯を盗み見ると言う、現場を目撃してしまうのであった。
やあやあ、さむらいである。昨日の宣言通り、本日は『さむらい物語』を更新したいと思う。隔週位では更新したいとしていたが、気付けば2週間以上、経っていたw楽しみにしていた門下生(読者様)には大変、申し訳ない。しか[…]
それを目撃してしまった我輩の取った行動は問い詰めたりはせず、黙認であった。
内心は気が気じゃなかったのだろうと、察したのであるが、お互いが決めたルールがあり、それは“超えてはならない一線”でもあった。
我輩はやましい事などなかったが、相手の気持ちを察し、表立って彼女の前で返信したりする事はしなくなった。
ただ、職場の後輩である為、無視はしていなかったが、頻度も控えるようにしたのである。
そんな最中、毎年恒例行事となっていた花火大会の季節がやって来た。
それは、彼女の叔母が埼玉県の某所に住んでいたのだが、毎年、そこの花火大会には参戦していた。
なんと、叔母のマンションの目の前で花火が上がると言う、絶景だったのだ。
しかも、やった事はないが、ベランダはバーベキューが出来そうな位、広かった。
そこから、人混みなど気にせず、花火を一望出来るのである。
付き合い初めの頃は電車で行っていたが、車を所有してからは車に乗る機会も少なかったので、ここぞと、ばかりに車で行くようになっていた。
子供を預かったりと、叔母とは何度も顔を合わせていたが、この日会ったのは昨年の花火大会以来となり、1年ぶりであった。
車なので我輩は酒は控えていたが、絶景で花火大会が観戦出来るだけで満足であった。
そんな、楽しいひと時のはずであったが、叔母の一言で一瞬にして“修羅場”へと変わる。
我輩がトイレから戻ると、叔母に言われた一言が、
『どうせ、また後輩にメールしてたんでしょ?』
であった。
我輩はただ、少々長くなる用を足していただけである。
なぜ、1年顔を合わせていない叔母が、そんなタイムリーなネタを知っているのか?
恐らくは、叔母にも影で愚痴っていたのだろう。
ただ、我輩は年に1度しか会わない、彼女の叔母に有りもしない、濡れ衣を着させられ、どうしようもない怒りが込み上げて来たのである。
普段は滅多に怒るような事もない温厚な我輩であるが、そんな人ほど、怒った時が怖いとは良く、言ったものであるが、まさにそれ。
6年以上付き合って、滅多に喧嘩もしない。
唯一、記憶にあるのが、中華料理屋で夕食を取ろうと、入り、注文したのだが、何が原因であったかは覚えてないが、彼女は癇癪(かんしゃく)を起し、食事が届く前に『もう、いい』と吐き捨て、帰ってしまった事があった。
ここでの正解となる行動は、キム〇クばりの、
『ちょっと、待てよ!』
と、引き留めるのが正解なのだろう。
しかし、喧嘩となっても滅多に怒る事のない我輩は冷静に、届いた2人分の食事を1人で平らげてから帰宅したのであった。
その時は帰宅すると、逆に冷静になったのか、彼女から誤ってきてくれたので、事なきを得ずであった。
と、まあ思い出せる喧嘩と言えばこれ位なものなので、怒る事などなかったのだが、その時ばかりは違ったのである。
恐らくは表情を見ればわかるだろうと言う位、怒りが込み上げ、叔母が『やべっ』みたいな顔していたのははっきり、覚えているが、その後取った行動は覚えていない。
さすがに、暴れるとかはないが、叔母に文句を言ったような気がする。
それこそ、本人が良いと言ってるのになぜ、関係のない他人からそんな事を言われなければならないのか?と。
それ位は吐き捨てたと思う。
今となっては花火が終わる最後までいたのか、途中で帰ったのか、記憶が曖昧なのだが、その後は花火を楽しめるような心境ではなかったのは覚えている。
そして、帰りの道中で初の“修羅場”を迎えるのであった。
総括
当時の我輩の心境としては様々な事が絡み合い、冷静ではなかったのかも知れない。
6年付き合った彼女とは結婚も考えていたお話しもした。
ちゃんと、“2人と、猫1匹”が一緒に生活出来る家を探すも見つからなかったお話しもした。
人の命の儚さを知り、やりたい事やろうと、誓った話しもした。
ドアマンの仕事はやりがいもあり、楽しかった事も有り、5年で辞めるつもりであったのが、既に7年目に差し掛かっていた。
更にここに来て、やりすぎた4号機が終焉となり、5号機の施行が決定した頃でもあった。
様々な要因が重なった状況で迎えた、初の“修羅場”。
その行く末は、どうなるのか?
『第98話』へ続く。。。
やあやあ、さむらいである。変則的な"2日更新1日休み"となってからペースが変わってしまった。隔週でお届けする予定の『さむらい物語』であるが、門下生(読者様)からのコメントを受け、そろそろ、2週間が経っていると気付いた[…]
本日はこれにて御免!
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