【さむらい物語】第96話 ~さむらい人生の転機~

やあやあ、さむらいである。

昨日はお休みを頂戴し、誠に感謝である。

記事を作成している段階では梅雨明け宣言も未だされていないのに、週末に台風直撃か?との報道。

おそらくは、この台風一過で本格的な梅雨明けとなり、夏が到来すると思われる。

先に宣言しておくが、お盆か、もしくはその前後で、今年も夏休みは頂戴する予定であるので、ご承知おきをw

なるべく、影響が出ないようにしたいと思っている。

さて、本日であるが、隔週更新をお約束している

『さむらい物語』

をお届けしよう!

今回のお話しはこれまでの話しとは異なり、我輩の人生において、大きく、影響を与えた出来事のお話しである。

今回の出来事がなければ、我輩が『スロプロ』を目指すと言う、大それた行動を起こす事は出来なかったであろう。

かなり、デリケートな話しである為、“思い出の機種”はお休みさせて頂き、お読み下さる方は覚悟を持って、読んで頂きたいと思う。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩、さむらい『過去の記憶や足跡』『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には“記憶違い”等が含まれている可能性がある事もお断りしておくw


若かりし頃から、『パチスロ』に目覚めたさむらいは将来、

『スロプロ』

になる事を夢に見、決意していた。


しかし、まずは苦労を掛けた両親への感謝の念から、『野望』を胸にホテルへ就職したさむらい“ベルマン”に配属されたのち、

『ドアマン』

に配置転換されるのであった。


“ドアマン”に配属された事でこれまで無縁であった普通免許を取得し、自家用車も購入。


何より、“ドアマン”の仕事が楽しく、やりがいを感じており、“シフト作成者”として責任ある立場を任されるようにもなった我輩は益々、退職の機を失ってしまうのであった。


当時の『ぱちんこ』“最大連チャン数5回”と言う、リミッター規制が長らく敷かれていたが、1999年に解除されると規制緩和の動きが強まって行く。


そんな中、『パチスロ業界』“劇的な進化”を遂げ、“CT機”の登場を皮切りに新基準機と呼ばれる“大量獲得機”“セブンライン機”“AT機”と言った新たな機種が続々と登場する。


更には“BIG中のJAC INフラグ”を持ち越す、『シフト持越し機能』を搭載する機種まで現れると、後に“サイレントストック機”と呼ばれる“合法的なストック機”が登場するのであった。


規制緩和と言う動きが進む、『ぱちんこ』であったが、“爆裂AT機”で明らかな盛り上がりを見せる『パチスロ業界』にも暗雲が立ち込める状況になっていく。


前回はストック機の中で、新たなジャンルを確立した『スーパーブラックジャックS777』をご紹介。

プライベートでは5年付き合っていた彼女が我輩の携帯を盗み見る姿を目撃してしまう。

お互いにこれだけは守ろうと決めていた事であったのにいとも簡単に裏切られ、それに対し、我輩の取った行動とは?

前回の話しをお読みでない門下生(読者様)はこちらから

第95話

やあやあ、さむらいである。本日、7月8日は『ガールズパンツァーG』の導入日であったのだが、初打ち出来た方はおられるだろうか?何と、我輩はと言うと、珍しくも良番を引き、土俵に上がる事が出来た。需要があるなら近々、記事にしようかと思[…]

スーパーブラックジャックS777


重ねてお断りするが、今回のお話しは前回のお話しとはまた、違うお話しである。

人生の転機

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我輩は5人家族で、歳の近い姉が2人おり、末っ子の長男と言った家族構成であった。

父方の田舎は山形県の南の方。

兄弟も多く、父親の姉が婿養子を取り、父の実家である本家を守っていた。

毎年のように帰省していたわけではないが、幼少期はお盆時期になるとたまに家族で帰省していた。

そんな山形の本家には、年の離れた従兄弟がおった。

年は12歳程離れており、我輩がまだ小学生の頃、従兄弟は大学生であった。

本当は彼女とデートなのに、うちら姉弟を一緒に花火大会に連れて行ってくれたりと、とても面倒見の良い、兄貴のような存在であった。

うちら姉弟はそんな従兄弟を“にいぶう”と呼び、兄のように慕っていたのだ。

そんな“にいぶう”はと言うと、二浪はしたものの見事、国立大学に進学し、卒業後は日本を代表する大手家電メーカーに就職した。

絵に描いたようなサラリーマン人生である。

花火大会に同席した彼女は高校生からのお付き合いで、10年来のお付き合いであった。

我輩が自家用車を持った事で、どこかに旅に出ようと思い立ち、1人で山形に帰省する事があった。

急な訪問にも関わらず、“にいぶう”は実家の隣にあった寿司屋へ連れて行ってくれ、我輩と酒を酌み交わせると、

『一緒に酒が飲めるようになった』

と大変、喜んでくれていた。

そんな、“にいぶう”の身に病魔が襲ったのである。

首に腫瘍が出来てしまったのだ。

手術で切除しなくてはならないのだが、悪性なのか、良性なのかは手術をして切除して調べてみないとわからないとの事であった。

これが悪性腫瘍となれば、いわゆる“癌”である。

調べた結果、腫瘍は良性であった。

そんな検査結果を聞いて安堵していた我輩家族達であったが、問題もあった。

それは腫瘍が出来た場所に問題があったのである。

首に出来た腫瘍と言うのは脊髄に根を張っていたのだ。

専門的な詳しい説明は出来ないが、脊髄には大事な神経が通っており、損傷してしまうと半身不随になってしまったりと、障害を抱えてしまう危険性があり、根っこから完全に切除する事は出来なかったのである。

根っこが残ってしまっている為、腫瘍は度々大きくなり、大きくなっては手術をし、切除と言った方法で治療に専念していた。

寿司屋で飲んだ当時は働きながらも、たまに休職しては治療に専念するといった状況であった。

10年来、お付き合いしていた彼女とは病気が根治するまでは結婚を控えると言った話しであった。

良性腫瘍であるはずなのに出来た場所が悪かったせいで、根治する事は難しく、身体を開いては切除を繰り返すほか、治療法はなかった。

次第に腫瘍の成長速度はどんどんと早まり、何度も手術を繰り返いていく内に体力は奪われていき、“にいぶう”は弱っていった。

このままでは身体が保たないと、良性腫瘍であるはずなのに放射線治療もするように。

それでも病気の進行を食い止める事が出来ずにこれ以上、手術する事もままならない状況になってしまっていた。

我輩が当時、勤めていたホテルは西新宿の一角にあり、たまたまであるが、“にいぶう”が治療していた病院は、その西新宿にある東京医大病院であった。

手術が出来ないとされた時には余命宣告されていたのだと思う。

“にいぶう”の病気が良くない事はうちら姉弟にも知らされていた。

病院が我輩の職場から近い事もあり、ちょくちょくお見舞いに訪れていた。

お見舞いに行けば会話する事も出来ていたのに、次第に寝ている時間が多くなり、自発呼吸もままらなくなると、喉に穴を開け、人工呼吸器を取り付けた。

こうなると話しも出来なくなってしまう。

それでも意思疎通を図るべく、質問に対し、“YES”なら瞬きを1回“NO”なら瞬きを2回すると言う、コミュニケーションは図っていた。

人工呼吸器を付けてからはみるみる容体は悪くなり、程なくして危篤であると告げられる。

我輩は近い事から働いている時間以外は病院に行き、付きっ切りで看病に励むご家族の助けに少しでもなろうとほぼ、寝ないで病院に通っていた。

危篤を告げられてから3日程経っただろうか。

いよいよ峠を迎え、この時は姉達も呼ばれていた。

人工呼吸器を持ってしても呼吸するのも難しくなり、機械を止めればと言う状況になった。

医者はご両親に判断を委ね、機械を止める決断をする。

呼吸する感覚がどんどんと長くなっていき、それでも機械を止められても必死に呼吸をしようとする“にいぶう”の姿を目にしていた。

うちら姉弟は号泣しながら“にいぶう”の名を叫んでいた。

最後の呼吸を確認した時、ずっと意識がなかった“にいぶう”の目がカッと見開き、覚醒した。

何か言葉を発したかっただろうが、人工呼吸器のせいで言葉は発せず、“にいぶう”は涙を流しながら息を引き取ったのであった。

享年35歳であった。

総括

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これまでの我輩の人生でこれ程、身近に人の死を感じる事はなかった。

我輩にとっても恐らく、うちら姉弟にとっても堪えがたいが、貴重な経験であったと思う。

12歳も歳の差があったのに、気付けば我輩は“にいぶう”よりも長生きしている。

人の死はなんて儚いのか。

生きたいのに生きられぬとは、何て残酷なんだろうと。

病気と戦いながら休職が続き、休みがちであったにも関わらず、息を引き取るまでクビになる事もなく、在籍出来ていたのは、さすがは大手企業である。

しかし、我輩は思うのである。

果たして、二浪してまでして国立大学に進学し、大手企業に就職してから病魔に寄って短い人生を終えた“にいぶう”は、その生き方で満足だったのだろうか?と。

その真意を確かめる事は出来ないが、少なからず最後に見せた顔は

『まだ、生きたい!』

と、言っていたように思う。

我輩にとって、この“にいぶう”の死が与えた影響は大きい。

“にいぶう”の死に目を目の前で見て、我輩の人生観はガラッと変わったのであった。

今回の出来事からこれから先、いくつまで生きれるかわからないが、後悔しない人生を歩もうと誓うのであった。

ホテルに3年勤めたら『スロプロ』を目指すと言っていたのに、3年勤めたのなら5年勤めろとなり、配置転換で“ドアマン”に異動した事で仕事が楽しくなり、5年6年となっていた。

社会に出て揉まれた我輩はいつしか、『スロプロ』を目指すと言う事が、まともではない事を知っていた。

会社を辞め、簡単に志せるものでもない。

我輩独りであれば良いのだが、そろそろ身を固めねばと、結婚を考えていた5年付き合った彼女もいる。

様々な葛藤があり、『スロプロ』を目指すのは難しいが、せめて、

『パチスロに携わる仕事に就きたい』

と考えるようになったのであった。

『第97話』へ続く。。。

第97話

やあやあ、さむらいである。隔週ペースでお届けしている『さむらい物語』であるが、"2日更新1日休み"と言う、変則的な更新であってもちゃんと、忘れていないのであるwいよいよ、"ホテルマン篇"も終盤に差し掛かって来たと言える。お話しを[…]

功夫烈伝

本日はこれにて御免!

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