やあやあ、さむらいである。
我輩がブログで記事を更新すると“Facebook”や、
“Twitter”といったSNSに更新情報が自動発信
されるようになっている。
そう言った自動発信されるサービスの中に
Googleが運営する“Google+”と言うSNSサイトが
あるのだが、2019年4月で“Google+”の運営を
終えると言う。
と言う事で“Google+”の更新情報はサイトの
リニューアルの際にリンクを外す運びとなった。
ご利用の門下生(読者様)にはご迷惑をお掛けする
が更新情報をリアルタイムでご所望の門下生は
“Facebook”もしくは“Twitter”をご利用下さるよう
お願い申し上げる。
さて、本日であるが、懐古台好きは必見の
不定期連載である
『さむらい物語』
をお届けしよう!
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの
『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には
“記憶違い”等が含まれている可能性がある事も
お断りしておくw
当時から、『パチスロ』で生きていく事を
“夢”に見ていたさむらいは将来、
『スロプロ』
になる事を“決意”していた。
しかし、まずは苦労を掛けた両親への
感謝の念から、『野望』を胸に“ホテル”へ
就職したさむらいであった。
『ぱちんこ』は“最大連チャン数5回”と言う、
規制が敷かれ、時代はまさに“氷河期時代”
真っ只中であった。
しかし、『パチスロ』は“CT機”の登場を皮切りに
“劇的な進化”を遂げ、“新基準機”と呼ばれる
『大量獲得機』や『セブンライン機』と言った
新たな機種が登場する。
更には“BIG中のJAC INフラグ”を持ち越し、
延命させ、小役ゲームの最終ゲームで
“JAC IN”させ、パンクを回避すると言う、
斬新な『シフト持越し機能』を搭載する機種
まで現れると後にストック機が登場する。
規制が続く、『ぱちんこ』とは反して、明らかな
盛り上がりを見せる『パチスロ業界』であった。
一方、そんな時代の我輩はと言うと、5年勤めたら
退職し、『スロプロ』を志そうと、考えていたが、
入社5年目に
『ドアマン』
に配属され、退職のタイミングを逃してしまう
のであった。
“ドアマン”に配属された事で普通免許を取得し、
自家用車も購入。
何より、“ドアマン”の仕事が楽しく、やりがいを
感じており、“シフト作成者”として責任ある立場を
任されるようにもなった我輩は益々、退職の機を
失ってしまう。
当時、同棲中の彼女と新たに猫を飼い始め、生活が
一変する中、葛藤するさむらいであった。
前回は『キングパルサー』を打った思い出話を
させて頂いた。
前回の話しをお読みでない門下生(読者様)は
こちらから
思い出の機種
©ミズホ
『ミリオンゴッド』はミズホの4号機である。
2002年の当時、大量獲得機や、『獣王』のような
爆裂AT機が世に登場すると、そのギャンブル性は
どんどんと、激しくなるばかりであった。
そう言った爆裂機が蔓延する動きにブレーキを
かけるべく、多くのパチスロメーカーで結成されて
いる日電協が爆裂機の販売自粛を求めるようになる。
しかし、『コンチネンタル』で検定取り消し処分を
受け、日電協から除名処分を受けていたミズホは
日電協非加盟メーカーであり、半ば強引に
『ミリオンゴッド』を販売する。
検定取り消し処分を受けた当時の話しはこちらから
『ミリオンゴッド』はAT機で液晶には3桁の数字が
並び、奇数揃いで大当たりとなる“ゴッドゲーム”
(以下GG)が発動すると言った、至ってシンプルな
ゲーム性である。
それだけでは全く、面白くなさそうであるが、
通常時のベースを極限にまで削り、一撃性に特化
したゲーム性となっていた。
千円辺りのゲーム数は平均19Gほどで小役は
ほとんど揃わず、リプレイですら順押しでは
揃わないと言う、有り得ない制御であった。
15分もしない内に1万円がサンド(メダル貸し機)に
消えていくのである。
しかし、“1/8192”の確率で揃う、“GOD揃い”を
引くと
『プレミアムゴッド』
となり、500Gの“GG”が発動となり、
『一撃5000枚!』
が約束されてようなものとなる。
現在も現役で稼働しており、後継機である
『ミリオンゴッド神々の凱旋』
でも“GOD揃い”は同一確率で存在し、さすがに
“一撃5000枚”とは行かないが、“一撃約3000枚”と
言うポテンシャルを武器にその流れを引き継いでいる。
あまりのギャンブル性に翌年には検定取消の処分を
受け、一斉撤去される事になるが、世に残した爪痕
は大きかった。
代替機として『ゴールドX』が販売されるがすぐに
攻略法が出回り、対策機として『ゴールドXR』が
登場する。
『ゴールドx』の攻略法と言うのは至極単純で、
バグなのか仕込みなのかわからぬが、液晶に
止まった特定数字の時にだけ順押しからハサミ打ち
に切り替えると言うもの。
これにより、変則打ちでペナルティが発生するが、
通常時にはほとんど揃わない15枚役が取得出来、
メダルが増えていくと言った単純なものであった。
その他にも逆押しでひたすら消化するような強引な
方法でもメダルが増える事が発覚し、島閉鎖など、
混乱を招く事となるのであった。
ミリオンゴッド
『ミリオンゴッド』が世に登場してから我輩は
打たぬまま、1ヶ月ほどが経過していた。
なぜ、打たなかったのかと言うと、激し過ぎる
“ギャンブル性”に身を亡ぼすと思ったからである。
我輩の周りにいるパチスロ好きの知り合いには
『あの台は打ってはダメだ!』
と豪語していた。
1日1回は引けるような確率で設計された
“GOD揃い”で発動する
『プレミアムゴッド』
を引けば10万円が約束されたようなもの。
当時の台横にある貸しメダル機は1000円札しか
受け付けつけず、両替に離席するのも嫌がる客は
一度に大量の1万円を両替して打つのが当たり前。
この『ミリオンゴッド』の登場により、離席せずに
済むよう、高額紙幣対応のサンドが販売される
ようになったのである。
それ程、社会問題にもなるようなギャンブル性を
秘めた『ミリオンゴッド』をあんなのはパチスロ
ではないと打たなかった我輩が打つ決心をしたのは
“打った事もないのになぜ、否定出来るのか?”と
思ったから。
そう考えた我輩はとある日に10万円を握りしめて
ホールに向かった。
向かったのは当時、『ミリオンゴッド』の登場で
連日出玉ランキングが激しく塗り替えられ、
盛り上がりを見せていた伝説の
『中野ジパング』
である!
“中野ジパング”を紹介した記事はこちらから
この日は10万円負けるまでは帰らぬと覚悟を決め
臨んだ一戦であった。
我輩と同じような覚悟を決めた猛者どもが
『ミリオンゴッド』
の島に続々と現れ、開店と同時に全ての台が
埋まっていた。
さて、どうなる事かと打ち始めると、尋常じゃない
ほど早い投資スピードにビビる。
30分もしない内に3人の福沢諭吉と別れ、1時間後
には涙目になりながら激しく後悔していた。
しかし、それは起こった。
突如、液晶がブラックアウトし、壊れたのかと
ビビったが、
『左を押してください』
の文字が!
これぞ、噂に聞いた“プレミアムゴッド”かっ!
人生初となる“プレミアムゴッド”を引いたのは
7人の福沢諭吉と別れた後であった。
当時の“プレミアムゴッド”は500Gは最低保証で
あったが、内部的に“GG”をストックしていると
最低2回の“GG”が放出される恩恵があった。
ストック機と同じような仕組みであった為、多くの
ホールはストックを飛ばして営業していたが、
中野ジパングはストックは飛ばさない店だった為、
500G消化後も“GG”が連チャンした。
後にも先にも“プレミアムゴッド”後の“GG連”
したのはこの日だけであるw
このままの勢いで!とはならずにまたも4000枚程
一気に飲まれるも2回目の“プレミアムゴッド”を
引くと勢いは止まらなくなり、2回の天国連ループ
と3回目の“プレミアムゴッド”でこの日一番の出玉
を記録するのであった!
総括
最後は取り切れず閉店となり、流したメダルは
『26200枚!』
となり、『コンチネンタル4X』で築いた我輩の
自己最高記録を大幅に塗り替える結果となった。
換金したのは最後の最後。
ビビりながらもビニール袋に入った大量の景品を
小さい窓口に入れようとするも入らず、まさかの
扉を開けての対応となり、交換所のおばちゃんに
『あんたが一番だよ!』
と言われ、50万円を超える現金が手渡された。
誰かに襲われるのではないかとこの日程、
ビビった日もないと思うw
休憩なしで食事も取らずに回していたが、夕飯も
食べずに一目散に帰宅する我輩であった。
『第88話』へ続く。。。
やあやあ、さむらいである。過去に出ている思い入れのある機種と共に、我輩の過去を振り返ろうと言う趣旨で始めた『さむらい物語』のお時間である。現在はかなり、不定期ではあるが、地道に更新させて頂いている。ごく一部マニア[…]
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