やあやあ、さむらいである。
“らぁ麺ブログ”を開設するべく、準備に専念していた為、『さむらい物語』を久しく更新出来ていなかった。
普段の“実戦記”とは異なった労力を必要とするので、中々手を付けられなかったのであるが、気が付けば年末の最終日から1ヶ月近くが経ってしまっていた。
楽しみにして下さっている一部、“さむらい物語ファン”の皆さまには申し訳なかった。
と言う訳で、本日であるが、約1ヶ月ぶりとなる
『さむらい物語』
をお届けしよう!
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの『過去の記憶や足跡』と『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこうと言う趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には“記憶違い”等が含まれている可能性がある事もお断りしておく。
若かりし頃から『パチスロ』に目覚めたさむらいは将来
『スロプロ』
になる事を夢に見ながらも、『野望』を胸にホテルへ就職する。
ホテルでは、“ベルマン”に配属された後、“ドアマン”に配置転換され、“シフト作成者”として責任ある立場を任されるように。
“ドアマン”に配属された事で普通免許を取得したり、自家用車を購入したりと、生活は一変する。
3年続ける事を目標に掲げていたはずが、気付けば8年勤めていた。
当時の『ぱちんこ』は“最大連チャン数5回”と言う、リミッター規制が長らく敷かれていたが、1999年に解除されると規制緩和の動きが強まって行く。
そんな中、『パチスロ業界』は“劇的な進化”を遂げ、“CT機”の登場を皮切りに新基準機と呼ばれる“大量獲得機”、“セブンライン機”、“AT機”と言った新たな機種が続々と登場する。
更には“BIG中のJAC INフラグ”を持ち越す、『シフト持越し機能』を搭載する機種まで現れると、後に“サイレントストック機”と呼ばれる“合法的なストック機”が登場するのであった。
出玉規制を進めていく『パチスロ業界』は4.7号機となっていたが、とうとう5号機への規則改正を決定する。
『パチスロ業界』が低迷するのは明白な状況で、当時6年付き合っていた彼女に別れを告げ、『全てを捨てる決意』で8年勤めたホテルを退職する。
そして、『パチスロ業界』への転職を希望しながらも失業者として、失業保険を貰いながら『パチスロ』で生計を立てていた中で、過去最高負け額を記録するのであった。
前回の話しをお読みでない門下生(読者様)はこちらから
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思い出の機種
©アルゼ
『グランシエル』はアルゼ(現ユニバーサル)の4号機である。
我輩が名機として崇拝している『クランキーコンドル』の後継機とも言える機種であった。
『クランキーコンドル』と言えばコンドルを題材としたアルゼを代表する技術介入機である。
『クランキーコンドル』を紹介した記事はこちらから
やあやあ、さむらいである。しばらく、極意『一樹百穫』やその実戦記事、『ファンキージャグラー』の記事を綴ってきたが、そろそろ、ネタも尽きるので『さむらい物語』を更新していこうと思うwそれでは『第三章』突入である。[…]
どう言う訳かここから、鳥シリーズが始まるのであるが、始祖鳥を採用した『アレックス』もそうである。
『アレックス』を紹介した記事はこちらから
やあやあ、さむらいである。ちと、急用で稼働をお休みし、遠方へ行く事になった。状況次第では更新が滞ってしまう可能性もあるのだが、恐らくは金曜には戻れるかと思う。毎日の更新を楽しみにされている門下生(読者様)には申し訳ないが、更新さ[…]
『アレックス』に至ってはアルゼの会社のロゴにもなっている。
そして、満を期して2000年に登場したのが、『グランシエル』であった。
『グランシエル』は大鷲をモチーフとした機種であった。
もちろん、技術介入機のDNAは受け継いでいた。
当時の大量獲得機や、AT機、ストック機がはびこる中で、技術介入機はとても珍しかった。
我輩のような技術介入機全盛期で育った者からすれば、よだれが出る機種であった。
技術介入機とは言え、目押しは比較的に優しく、リプレイハズシをするのにもビタ押しを必要とする事もなく、15枚役の複合役を取る時もビタ押しの必要はなかったのである。
にも拘らず、リプレイハズシ効果は絶大であった。
4号機のリプレイハズシを説明した記事はこちらから
やあやあ、さむらいである。先日、テスト段階ではあるが登録した『LINE@』のアカウントであるが、トークを一斉送信するのは月に『1000件』までと言うのはまだ、わかる。しかし、タイムラインに投稿する[…]
『グランシエル』と言えば鳴り止まない効果音が有名である。
我輩の文章力ではそれを説明するのは困難なので割愛するが、気になる方はネットで検索すれば動画で確認する事が出来るだろう。
そんな訳で『グランシエル』と言えば、打ち込んだ機種であるのだが、時代の流れから決して、息の長い機種ではなかった為、撤去されるのも早かった。
そんな状況であったのだが、我輩が当時住んでいた町田で奇跡の出来事が起こる。
我輩が良く行く店の一つに、駅からは少し離れた場所であったが、“MAXパチンコ”と言う店が有った。
こちらのお店は1階から4階までのタワー店であった。
元々、古い機種なども置いていたのであったが、3階フロアーはシャッターで閉めており、“パチスロコーナー”は4階のみであった。
しかし、とある日に閉めていた3階フロアーをオープンさせると言うのだ。
どう言った理由で閉めていたのかはわからぬが、感覚としては『パチスロ』が増台されるのか位の認識であった。
しかし、3階フロアーを降り立った我輩が目にしたのは驚愕の光景だったのだ!
何と、そこに設置されていたのは過去に一世風靡した名機達ばかりであった。
『大花火』や、『不二子2』、『B-MAX』であったり、『デュエルドラゴン』と言った名機達ばかりである。
そんな中に『グランシエル』もあったのだ。
これから5号機時代となるはずが、どう言う事なのだろうか?
カラクリはわからぬが、休業していた3階フロアーは入替をせずに当時のままであった為、そのままオープンしたのだと思われる。
そんな名機達との再会に喜んだ我輩はこちらの店を当時のマイホとしたのであった。
ちなみに過去最高負け額を記録したのはこちらの店であるw
初の転職活動
8年と6カ月勤めたホテルを退職した我輩であったが、町田に住む姉の部屋を間借りして仮住まいとし、失業保険を貰いながら“専業”のような生活をしていた。
正しくは“専業”とは程遠い、毎日好き勝手に『パチスロ』を打つような、見本にもならないような立ち回りであった。
そんな中、叩き出したのが前回のお話しで紹介した、過去最高負け額である。
とは言え、全く就職活動をしていなかったのかと言えば、そんな事はない。
ハローワークに失業者として認定されてから失業保険を頂くまでに3か月間の給付制限がある。
この給付制限の間にハローワーク対し、就職する意思を見せねばならないのである。
10年以上前の当時の我輩の話しであるので、現在とは多少の違いはあると思うが、それを踏まえた上で聞いて下され。
“1ヶ月で2回以上の就職活動を行わなければならない”と言うルールが受給資格の中にあったのである。
企業の採用試験に行けばもちろん、就職活動として数えられるのだが、ハローワーク主催のセミナーに参加するなどと言った活動を義務付けられていた。
我輩も『パチスロ』ばかり打っていた訳ではなく、転職活動をしていた。
まずはノートパソコンを購入する。
当時はまだ、Windows XPであったのだが、OSの古さが時代を物語っているだろう。
スマホもなかった当時の状況であった為、ネットで採用情報を調べる為にパソコンは必須であった。
また、採用試験に臨む際に必要な職務経歴書を作成する為でもあった。
履歴書と職務経歴書を作成し、当時募集を掛けていたメーカーに書類を送っていた。
どこのメーカーかは伏せさせて頂くが、1社は誰もが知る大手メーカーであり、もう一つの1社は我輩が愛してやまない機種を輩出していた某メーカーであった。
当時の状況であるが、市場には4号機はあるものの、5号機に切り替わる真っ只中と言った現在と似たような状況であった。
規定が変わっているのに保通協に適合したと言う話しは一切なく、何処のメーカーも慎重な状況であったと思う。
そんな状況下でありなが募集を掛けているメーカーがあったのである。
どちらのメーカーも書類選考を突破し、採用試験を待つ状況に。
大手メーカーからは書類選考は通過したが、採用試験は時期を見てまとめて行う為、しばらく待って欲しいと言う連絡があった。
我輩が何処よりも入りたいと思っていたメーカーからは翌月に採用試験が、あるので来るよう連絡があった。
一番最初に採用試験を受けたのが、我輩の大本命のメーカーだったのである。
そして、自身の常識の無さを垣間見る事になるのであった。
まず、我輩は“パチスロを作りたい”と思っていた。
その為、履歴書には希望は開発として応募し、(営業)みたいな書き方で応募していたのである。
我輩は接客業での経験はあれど、プログラミングの知識は0なのに無謀にも開発希望としていたのだw
この時点で常識がないと言えるが、熱意が有れば入れる可能性もあると思って臨んでいた。
採用試験に臨み、面接で開口一番に言われたのが
『今日は営業の面接ですが良いですか?』
と言ったものであった。
なるほど、やっぱり何の資格も実績もないただの『パチスロ』好きが、いきなり開発に入れるはずもない。
しかし、営業職であっても『パチスロ』の開発に携われる可能性はあると思い、面接を受ける事に。
我輩が一番入りたかったメーカーであったのに、何の準備もせずに挑んだ採用試験は散々であった。
行き当たりばったりで何とかなると思っていた。
出鼻をくじかれたせいか、面接はボロボロで、筆記試験に至っては、簡単な一般常識の試験があったのだが、これも酷かった。
我輩は『あいさつ』と言う漢字すら書けなかったのだ。
その他にも恥ずかしい位、非常識な答えを書き、返って来たのは“不採用”の通知であった。
総括
全く経験がなかったとは言え、初の転職試験は散々たる結果であった。
ずっと、接客業の最前線でやって来た経験から、面接は何とかなるとさえ、思っていたのであるが、完全な思い違いであった。
こうして、自己責任ではあるが、一番入りたかったメーカーに入れず、自分自身の常識の無さを学ぶのであった。
こうして、学生時代は勉強した事がなかった我輩が、勉学にも励むようになるのであった。
『第106話』へ続く。。。
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本日はこれにて御免!
次回更新は1月30日を予定している。
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