やあやあ、さむらいである。
しばらく、極意『一樹百穫』やその実戦記事、
『ファンキージャグラー』の記事を
綴ってきたが、そろそろ、ネタも尽きるので
『さむらい物語』を更新していこうと思うw
それでは
『第三章』
突入である。
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの
『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw
『パチスロ』にハマり、『パチスロ』で
生きていく決心をしていたさむらいは
受験の失敗を期に親へ
『パチプロになる』宣言をする。
しかしそれも、軽く受け流され、
高い学費を払ってまで進学する事となる。
4号機が登場し、3号機との共存時代。
日本のメーカーからも続々と4号機が登場した。
この時さむらいは家庭の事情により、
地元から電車で20分と更に東京より、
奥地へ引っ越す事となる。
思い出の機種
©ユニバーサルエンターテインメント
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ユニバからは
『フラグ成立時にバックライトがフラッシュする告知機能』
を搭載したA-Cタイプの『ソレックス』や
Aタイプの『オリエンタルⅡ』等が
販売されていた。
そして『クランキーコンドル』を販売する事となる。
『クランキーコンドル』はやはり、
4号機を語る上で外せない機種であろう。
現在、アクロスからクランキ―シリーズ
『20周年』を記念して出された
『クランキーセレブレーション』
は記憶に新しいであろう。
『クランキーコンドル』はユニーバーサル販売
(現ユニバーサルエンターテインメント)の
4-1号機である。
ユニバ最大のヒット機種はやはり、
『クランキーコンドル』であろう。
『クランキーコンドル』が爆発的に人気となった
最大の要因は
『技術介入度が激高』
だった事にある。
時代は技術介入機時代へ
©ユニバーサルエンターテインメント
もちろん、『技術介入度が激高』だけではなく、
それを凌駕する大量な『リーチ目』や
マニアックな『リール制御』も人気を博した
要因ではある。
しかし、本機を語る上では何より、
『4号機3代攻略法』である
『リプレイハズシ』
『小役目押し打法』
『設定判別法』
これら全てが通用し、攻略効果も
『激高』
であった為、伝説的空前のヒットとなった。
その攻略効果は絶大で『リプレイハズシ』は1ビッグ辺り、
対フリー打ち比+65枚。
『小役目押し打法』は対フリー打ち比+3.37G
(1000円辺り)。
『設定判別法』も設定6のみではあるが
判別可能であった。
その為、設定1の出玉率がフル攻略だと脅威の
『104.21%』
を越えるとされていた。
ここで必要なのは
『手順を正しく行う知識』と、
それを実行する為の
『目押し力』
だけであった。
当時のさむらいは?
当時の我輩は荒れていた。
グレていたわけではなく、腐っていた。
毎日、通学に要する3時間が無駄に思え、
満員電車にも嫌気がさしていた。
しかし、高い学費を払ってまで進学を
薦めてくれた両親には感謝しており、
学校を休む事はしなかった。
地元を離れてからと言うもの、
学業を終えてから帰宅し、ぱちんこ屋へ。
周りには友人もいない。
そんな中、地元の2個上の先輩が
近所のぱちんこ屋でバイトをしていた為、
唯一の知り合いであった先輩を慕って通うようになり、
そこが新たな『マイホ』となっていた。
しかし、環境が変わった事や、今まで地元になかった
『様々な台』を好き勝手打ちまくり、
気付いた時には負けがかさんでいた。
バイクを買う為に『パン屋さん』で必死にバイトをし、
人生初の労働で得た16万円の貯金も
底を尽く勢いで負けこんでしまっていた。
バイクがなければ地元にも行く事も
ままならないと言うのにである。
総括
当時、換金率も我輩の地域は徐々に
等価交換が主流となっていた。
その為、ベタピンと呼ばれる
『オール設定1』
が当たり前の時代となる。
この『クランキーコンドル』が世に出てくるのは
もう少し後の事である。
そんな当時の我輩であったがパンクを目前にして
残りのわずかな軍資金を元に
『勝負賭け』
を行う事となる。
その話しはまた、次の話しとしようw
第21話へ続く。。。
本日はこれにて御免!
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