やあやあ、さむらいであるw
今日の“おすし”のコーナーw
もはや、“アイドル”化してきた“おすし”の
存在であるが、今度は
『ファビコン』
を、作成してくれた。
『ファビコン』とはパソコンなどで見た時に
“タブ”の横に出る小さい“アイコン”である。
また、“スマホ”などでブックマークされた際にも
この『ファビコン』が表示される。
以前に使っていた『ファビコン』は我輩が作った
これである。
これは簡単に作成したものではあるが、
やはり、“おすし”が作ると一味違うw
別の種類のシャンプーでもそのまま詰め替え用を
平気でぶち込むようなガサツな男の仕事とは
思えない出来栄えであるw
そんな、“おすし”が作成してくれた
新しい『ファビコン』が気になる
門下生(読者様)は是非、これを機に
ブックマークして頂けると有り難い。
そろそろ、“おすし”にも“官位”を与えるべきか、
検討中であるw
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw
『パチスロ』にハマり、『パチスロ』で
生きていく決心をしていたさむらいは
『スロプロになる』事を決意していた。
しかし、両親への感謝の念から、就職を選択する
さむらいであった。
この当時、『ぱちんこ』の規制が厳しくなれば
『パチスロ』の規制が緩くなる、と言った
状況が交互に起っていた時代。
『パチスロ』は『技術があれば勝てる時代』と
打ち手にとってはこの上ない状況に対し、
『ぱちんこ』は『みなし機』と呼ばれる
連チャン機の“強制撤去”が段階的に
進められていた。
その“台替機”には最大連チャン数が
『5回まで』
に規制され、“ぱちんこ氷河期時代”を
迎える事となる。
そんな中、社会人になり、
『初めての給料』を手にした
さむらいであったがあまりの給料の安さに
驚愕する。
『パチスロ』で稼がねば
人としてまともな生活を送れない程であった。
思い出の機種
『タコスロ』は“瑞穂製作所(現ミズホ)”が
販売した“4-1号機”である。
まず、ここで『タコスロ』をあげさせて
頂いたのは“大好きな機種であったから”と言うのは
当たり前ではあるが他にも“注目”すべき点がある。
まずは、“瑞穂製作所”第一弾の“4号機”である事。
なぜ、ここまで遅れて販売したかと言うと、
“瑞穂製作所”は“3号機の裏物全盛期”時代、
『コンチネンタル』
が摘発され、検定は取り消し。
そして“日電協”からは除名され、
“3年間の申請禁止”と言う
実質的には『活動停止』となる、
かなり重い処分を受けていたのである。
そんな中、6年間の活動自粛期間を得て、
満を持して“4号機”初となる、
『タコスロ』
を、世に放ったのである!
との当時を語っているのがこちら
>>さむらい物語 第8話 ~さむらい3号機を語る~
そんな『タコスロ』であったが時代は
『技術介入機時代』
と、あって期待は裏切らない仕様となっていた。
“設定1”でも“出玉率106%”越えと
思い返しても過去一番甘い
『技術介入機』であった。
しかし、それではお店は使い辛い所であるが、
本機の『リプレイハズシ』は
『完全ビタ押し』
が必須であり、誰しもが“出玉率106%”の“恩賞”を
受けれるものではなかったのであるw
また、“テーブル方式”で“大量リーチ目”を
売りにしていた現存する機種とはまた違う、
『リールのすべり』
を重視したリール制御となっており、
これもまた、“マニア心”を擽られた仕様であった。
是非とも、この『リール制御』と
『尖った技術介入要素』を兼ね備えた
“復刻機を5号機”で打ちたいものである。
今後の“アクロス”の仕事に期待するw
寮生活
ベルボーイの仕事にも慣れ、夜勤明けでは
『パチスロ』を打ち、小遣い稼ぎをしていた。
また、休みの日にはがっつり稼働した。
今ほどの徹底した立ち回りはせずとも、
『技術』があれば
十分に勝てていた時代である。
但し、身体的には酷使していた。
夜勤は“2日分”の仕事を通しで行うもの。
17時間~24時間程の拘束で、
多忙時には仮眠が0の時もあった。
明けで閉店時間まで稼働し、帰宅しては急いで
寝る準備をし、死んだように寝て“6時間”後には
起床し、早番業務に行くといった生活であった。
まぁ、我輩だけであれば良いのだが、
当時の寮は“2人部屋”である。
“相方”は『宴会部』に配属されており、
夜勤などはほとんどなく、生活リズムは
全く異なるものであった。
やはり、赤の他人が生活を共にするだけでも
大変なのに生活リズムまで狂わされたら関係に
“歪”も生じてくると言うものである。
生活習慣のズレ
生活リズムも異なる為、いつしか、
会話も減った。
挨拶だけは欠かさず行おう、と我輩は
心掛けていたが『ただいま』と言っても
『あぁ』。
『お疲れ』と言ってもいつしか
『しかと』
である。
日増しに悪化していく“相方”の態度に
温厚であった我輩もさすがに人道に反する
“相方”の態度は許せなかった。
そして、それが一気に爆発する事件が勃発する。
それはまた、次の『物語』で語らせて頂こう。
第32話に続く。。。
>>さむらい物語 第32話 ~さむらいブチギレる~
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