さむらい物語 第30話 ~さむらい初任給を貰う~

やあやあ、さむらいであるw


“おすし”が作成してくれた“アイコン”効果は
勢い止まらず!


お礼に“おすし”には
“かなへいのLINEのスタンプ”
プレゼントしたw


そろそろ、“アイコン”も統一しようと
考えているので以前、使用していた“アイコン”
見納めである。


以前の“アイコン”人気ブログランキング
チェック(5/14まで)!


“おすし”特製、『ペカるさむらい』はこちらからw


ちなみに本日の“1日平均OUT”
(ぶろぐ村からの入場数)は

『380人』

と、”対先週の平均値比+2.08倍”となった!


いやはや、まだまだ伸びしろは有りそうである。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw


『パチスロ』にハマり、『パチスロ』
生きていく決心をしていたさむらい
『スロプロになる』事を決意していた。


しかし、両親への感謝の念から、就職を選択する
さむらいであった。


この当時、『パチスロ』『技術介入機時代』
『裏物』も自然と減っていた。


しかし、“ぱちんこ”に関しては
厳しい時代であった。


『みなし機』と呼ばれる連チャン機の
“強制撤去”が段階的に進められ、
その“台替機”には最大連チャン数が

『5回と言うリミッター』

が設けられていた時代であった。


そんな中、社会人になり、

『初めての給料』

を手にした“さむらい”であったが。。。

初めての給料

給料袋

“給料日は25日”であった。


初めて受け取った“給料明細”を見て我輩は
“驚愕”したのである。


なんと、

『総支給額7万円程で手取りは約5万円』

だったのである!


『今の社会人って、これしか貰えないの?』

そう、思った。
それはそう、であろう。


いくら“バブル崩壊”後の不景気だからと言って
“スロットなら1日で稼げてしまう”ような
金額だったのだからw


しかし、これには“カラクリ”があった。


『15日締めの25日払い』

だったのである。


そうか、“4/2”から働き出した我々はまだ、
“半月”しか働いていないではないか!


それなら“給料”“日払い計算”になるのも
納得である!

『・・・』

『・・・ん?』

『・・・って、事はですよ?』

『倍貰っても月10万じゃんw』

『・・・』

『・・・・・』

『・・・・・・』

『で、あるか・・・』

そりゃ、『で、あるか』
発動すると、言うもの。


研修期間、ただ机に向かって黒板見ていただけで
給料貰えるだけ、有り難いと思えよ?


そう、言われてしまえば居眠りしていた
我輩は返す言葉もないが、

『にしてもアルバイトじゃないんだからさ?』

と言う、“給料”である。


未上場ながらも“従業員1500人”抱える
企業の給料が

『たった、これだけかよ?』

それが社会に出て初めて感じた事である。

どうやって生活するのか?

困窮

いやはや、困ったものである。


次の“給料”“1ヶ月後”


渡された“5万”で生活しなければならない。


幸いにも我輩には学生時代に
『ぱちんこやパチスロ』で蓄えた

『軍資金』

があったが、そう言う問題ではない。


どう、考えても

『足りない』

“半月分”だからとかではなく、

『1か月分貰っても足りない!』

のである。


もはや、我輩の同期は最初の“1カ月”だけでも
どうやって生活していたのか知りたい。


相部屋の“相方”『宴会部』に配属され、
毎日朝から晩まで働いていた為、
昼も夜も会社の“1食250円”

『従業員食堂』

で食事は済ませ、難を凌いでいた。


『従業員食堂』は決して、不味い
わけではないが特別、美味いわけでもない。


メニューは定番の
『カレーライス』『主食』『麺類』
この“3択”である。


しかも『主食』以外は昼も夜も同じメニュー
出される。


いくら、お金がないとはいえ、
毎食、『住食』では気が滅入る。


よく、相方は絶えていたな、と。


そんな“境地”に立たされた時にどうするか?


このように“節約する”のが一般的であろう。


しかし、我輩は違った。

『稼げば良い』

と、考えるのである!

近隣店舗の状況

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当時は専業ではなく、

『趣味打ちで小遣い稼ぎ』

をしていた程度。


また、働き出した事による、
稼働時間の減少も大きい。


当時のこの地域は“中野区”ではあるものの、
『中野駅』とは離れた地域。


最寄駅に『ぱちんこ屋』“3店舗”のみ。


どの店も“6枚交換”でしかも、当時の
“主戦機種”であった『クランキ―コンドル』
どの店にも設置されていない
“過疎った地域”であったw


そのような状況の中、“寮”の近くの店舗が

『新台入替』

を行うという“DM(ダイレクトメール)”
届いた。


入場は会員である証拠のこの“DM”を持った人間の
先着順
だと言う。


並べば確実に台は取れると言う事。


そして、『新台入替』として導入されるのが

『クランキ―コンドル』

であった。

いざ、実戦!

クランキ―コンドル
©ユニバーサル販売

たまたまであったがこの『新台入替日』
休みであった我輩。


金に困った同期を誘うも賛同する者は現れず。


何時に並ぶかもわからぬ状況だった為、
1人で始発前の“4時”から並んだ。


誰もいなかったw


次に来たのは“8時前”位であろうか?


そのような状況に新台と言えども

『設定に期待は出来ない』

事は理解出来た。


だが、我輩は『クランキ―コンドル』
打ちつくしていた男である。


“設定1”でも出玉率が“105%”程あった為、
神奈川の“等価”店で『モーニング』から粘り倒し、
“日当”を叩き出していた我輩である。


周りは『クランキ―コンドル』
ほとんど知らない人達。


“6枚交換”でありながらも“地域一番店”


土俵に上がれさえすれば“設定1”以上の台には
有りつけると踏んでいた。


10時になり開店し、適当に島の真ん中に着席した。


いざ、“実戦開始”である!


予想通りと言うべきか、周りは
『リプレイハズシ』はおろか、
通常時もほぼ、『フリー打ち』と言った惨状。


“フル攻略”で臨んでいるのは我輩のみ、
と言う状況であった。


ボーナス確率が同じでも圧倒的に
“出玉の差”が生まれていた。


“設定6判別”を行うも否定はされたが、
“設定6”以上の出玉を流し、満足気に帰宅した。

総括

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後にこの“地域一番店”“等価交換”となるが、
客層のレベルの低さから“6枚交換”であっても

『クランキ―さえ、打っていれば負けないっしょ!』

と、言う状況であった。


こうして、『新入社員初期時代』はなんとか、
人並みの生活を送る事が出来るように
なったのである。


第31話に続く。。。
>>さむらい物語 第31話 ~さむらい相方とすれ違う~

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