やあやあ、さむらいであるw
『常時SSL化』
が急務であると言ったものの、本日は“終日稼働”と
なった為、作業が出来なかったのである。
明日は午前中に“歯医者の予約”が入っているので
作業に入る予定としておこう。
並びはしないが朝イチは行こうと思っている。
万が一、“打ちたい台”が空いていたら
“稼働せずにはいられない症候群”に陥ってしまう
のは性分である為、作業はまた後日。。。
そうこうしている内に“10月”が来てしまいそう
であるがw
“1日”で出来るともわからぬ為、どうなる事か。
さて、そんなわけで“単発”で投稿しようと思ったら
『さむらい物語』
しか、なかろうw
気が付けばもう、“60話目”であるw
“さむらいの過去”と“パチスロ”を学びたければ
“第1話”から読むべし!
さむらい物語 第1話 ~さむらいパチスロと出会う~
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの
『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には
“記憶違い”等が含まれている可能性が
ある事もお断りしておくw
当時から、『パチスロ』で生きていく“決心”を
していたさむらいは将来、
『スロプロ』
になる事を“決意”していた。
しかし、まずは苦労を掛けた両親への
感謝の念から、『野望』を胸に“ホテル”へ
就職したさむらいであった。
この頃になると、『ぱちんこ』は“みなし機”と
された“連チャン機”の“強制撤去”も落ち着き、
“台替機”は“最大連チャン数5回まで”と言う、
“リミッター付の規制された機種”。
まさに『ぱちんこ』は“氷河期時代”であった。
しかし、『パチスロ』は
『技術があれば勝てる時代』から
“CT機”の登場を皮切りに、
『劇的な進化』
を遂げていく。
“新基準機”と称し、『大量獲得機』が登場し、
その“1か月後”には『セブンライン機』が登場
していたのである。
『ぱちんこ』とは反して明らかな盛り上がりを
見せる『パチスロ業界』であった。
聖地『沖縄』
小学6年生の時に街の“英会話スクール”に通って
いた我輩はそのスクールの一環として“ハワイ旅行”
に行った事があった。
何も“ホテルマン”になる事を予見しての
“英会話スクール”ではない。
たまたま、母の友人が営んでいた“英会話スクール”
であり、付き合いで通っていたようなお遊びの
習い事であった。
小学6年生の“ハワイ”など毎日、“ワイキキビーチ”
に行くだけの旅行であり、思い出と言えば日本から
持参した“ビーチマット”を大型犬に食い千切られた
“苦い思い出”しかない。
そんな我輩が海外よりもどうしても行きたかった
場所があった。それは
『沖縄』
である。
飛行機は2回目であったが緊張した記憶がある。
当時、お付き合いをしていた彼女とは初めての旅行
であった。
当時、お付き合いしていた彼女との出会いは
こちらから
さむらい物語 第41話 ~さむらいディスコに行く~
なぜ、それほどまでにして『沖縄』に行きたかった
のか?
それは“スロッター”にとって
『沖縄は聖地』
だったからである。
“沖スロ”が“30φコイン”である事はご存知の方も
多いであろう。
ただ、それだけではなく、『沖縄』にはもっと、
“パチスロ初期を思わせる機種”が存在していた
のである。
沖スロ
©ユニバーサル販売
上記の写真を見て驚く方も多いだろう。
こちらの『マリーナ』は“ユニバーサル販売”
(現ユニバーサルエンターテインメント)の
“3号機”時代の『沖スロ』である。
写真を見ても現行の“パチスロの規格”と比べて
“デカい”し、更には“デカいレバー”が筐体横に
備わっているのである。
もはや、“カジノ”を彷彿させるたたずまいw
さらには、本土よりも波は荒く、“一撃”引いたら
後ろにゴミを入れるような“デカいポリバケツ”を
用意し、“30φコイン”を“垂れ流し状態”と
聞いていた。
そんな
『パチスロの聖地』
があるのであらば、行かないわけにはいかぬ。
そう、思い、満を持して『沖縄』を訪れたさむらい
であった。
思い出の機種
©マックスアライド
『ボルキャニック』は“マックスアライド”の
“4号機”である。
我輩とした事が大事な機種を紹介し忘れていた
のである。
本機『ボルキャニック』を紹介する前にまずは
“マックスアライド”
と言う、メーカーを先に紹介せねばなるまい。
意外や、“マックスアライド”は“老舗メーカー”で
あった。
“代表されるヒット機種”と言えば
『トリプルクラウン』
である。
実は『沖縄』以外の方は知らない機種かも
知れない。
しかし、ながら『沖縄』の“沖スロ”と言えば
『トリプルクラウン』であった。
それほど、『沖縄』の人達には愛され、未だに
“人気機種”である。
本土で言う所の『ジャグラー』と言っても過言
ではない。
この当時、『シオサイ』などもあったが『沖縄』の
“沖スロ”と言えばどこもかしこも
『トリプルクラウン』一色であった。
『沖縄』の『トリプルクラウン』は“裏物”であった
のかわからぬが、『ボルキャニック』はバッキバキ
の“裏物”。
メーカーは関与していないとされる所であるが、
我輩の回りで稼働していたのは“噴火”しても
“ボーナス”が確定しないような“裏物”であった。
©マックスアライド
後継機に『風神雷神』が販売される。
見た目はメチャメチャ格好いいが筐体を良く見たら
ほぼほぼ、『ボルキャニック』w
BIG中の“15枚役”の出現率が『ボルキャニック』
に比べて“2倍の出現率”となっていた為、
“技術介入度”はこちらの方が高かった。
残念ながら『風神雷神』は見た事すらないw
そんな『沖縄』のスロッターが愛して止まない
『トリプルクラウン』を作る“マックスアライド”
であったが、倒産であったか、解散であったか
記憶が定かではないが会社は消滅し、以降は
“清龍ゲームジャパン”が『トリプルクラウン』を
継承し、販売していく事となる。
沖縄旅行
期待を胸に訪れた『沖縄』であったがまず、
“4号機”になり、“大きい規格の筐体”では
なくなっており、見渡す限り
『トリプルクラウン』
しか、なかったのであった。
当時の『沖縄』にはモノレールも開通しておらず、
車無くしては行動が出来ぬ土地。
にも関わらず、免許を持っていなかった我輩達は
バスとタクシーのみで観光。
バス停でバスを待っていると“個人タクシー”が
寄ってくる。
『どこへ行くのか?』と、尋ねられ、そこまで
バスだと幾ら掛かるからこの金額でそこまで
乗せてやると“個人タクシー”の運転手に言われ
親切にも安く乗せてもらえた。
宿のホテルは“リゾート地”であった為、“繁華街”
からは離れていた。
“パチスロ”が打ちたいからお店が固まっている
“繁華街”まで乗せてほしいと告げ、『任せろ』と。
どう見ても“閑古鳥”が鳴いているような店に車を
寄せる。
駐車場に車が停まっていないような店で降ろされ、
『この先、もう少し行くともう1軒あるから』
と。
何もこんな辺鄙なとこで降ろさなくても言いのに
と、選んだタクシーを後悔するも時、既に遅し。
選びたい放題の『トリプルクラウン』の中から1台
選び、バットを光らせるまでと2人で
“即3万”を溶かし、すぐさま、店移動。
さすがにここの店はない、とタクシーの運転手に
言われた方向に歩くも“30分”歩いても次の店は
見当たらず。
国道沿いなので迷うわけもないが諦めかけていた
頃、空の雲行きが怪しくなり、一気に土砂降り。
何とも、『沖縄』の“台風シーズン”であったが為に
旅費は安く済んでいたのであったがこういう事か、と。
土砂降りでびしょ濡れになり、踏んだり蹴ったりの
出来事であったが、“一縷の望み”の
タクシーが通り掛かる!
両手を振り、停めると先ほど降ろされた
“個人タクシー”であった。
『勝ったか?』
と、言われ、
『勝てるわけねーだろ!』
と、思わず声を荒げたのは語るまでもあるまい。
第61話に続く。。。
さむらい物語 第61話 ~さむらい沖縄へ行くその2~
本日はこれにて御免!
ランキングに参加中である!
最近、ランキング下がり気味じゃん!と、思われた
門下生(読者様)はさむらいの
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