さむらい物語 第28話 ~さむらい就職する~

やあやあ、さむらいであるw


しばらくは“実稼働に役立つ”であろう記事を
綴ってきたが、いかがだったろうか?


『閉店チェック』の重要性や、
具体的なやり方などを三つに分けて綴っている。


これは、“まとめ記事”に加えさせて頂いたので
読んでいない門下生(読者様)はこちらから
>>さむらい流『極意』と『奥儀』を伝授!まとめ編


また、”伝説的名言”である、

『精神的収支はプラス』

と言う、現代のスロッターの生の声を
代弁した後輩、“おすし”の実戦記など、
中々、内容の濃い更新であったと思う。


まだ、読んでいない門下生(読者様)はこちらから
>>ただのパチスロ好きにさむらい流『極意と奥儀』をやらせてみた実戦記!(前編)
>>ただのパチスロ好きにさむらい流『極意と奥儀』をやらせてみた実戦記!(後編)


そんな、人気沸騰中な“おすし”であるが、
“ぶろぐ”で取り上げた“お礼”として、

『格好良いプロフィール写真』

を作成してくれたw


これなら、我輩が『ジャグ専』である事もすぐ、
お解り頂けるのではないか、と思い、
即採用させて頂いた。


しかも、『光る』のである!w
“おすし”が作ってくれた“プロフィール”
こちらのブログ村で我輩のランキングを確認し、
見て頂きたいと思うw

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw


『パチスロ』にハマり、『パチスロ』
生きていく決心をしていたさむらい
『スロプロになる』事を決意していた。


しかし、高い学費を払ってでも卒業させてくれた
両親への感謝も兼ねて、就職を優先しする
さむらいであった。


時代は『モーニング撤廃』や、
『社会的不適合機』と言われた、いわゆる

『みなし機』

と呼ばれるパチンコ機の連チャン機の“強制撤去”
段階的に進められていた時代である。

思い出の機種

ピンクパンサー

『ピンクパンサー』”山佐””4-1号機”である。


本機は初の“タイアップ機”となった
“パチスロ機”である。


まさかあの、”山佐”から業界初となる
“タイアップパチスロ機”が出たとは中々、
想像出来ないのではなかろうか?


当時の”山佐”『ニューパルサー』が大ヒットした
メーカーであり、パチスロ業界を
“牽引”していた
と、言っても過言ではない。


そんな本機の特徴は至って“マイルド”
”設定6”でも”出玉率106%”ほど。


“大量リーチ目搭載機”ではあったがその数も
“1460個”ほどであった。


また、当時の”山佐”

『アンチリプレイハズシ』

であり、“技術介入機”を頑なに否定していた
メーカーであった。


“BIG中”に変則押しをすると
イジワル制御が掛かり、全ての小役が
完全奪取出来ないリール制御にしていた
為、
技術介入要素も微々たる効果しか得られなかった。


時代の流れに逆行していた為、せっかくの
“初のタイアップ機”であったが日の目を見る事は
あまりなかったのである。


こうして、業界を“牽引”していたはずのメーカーが
時代に取り残される一途を辿るのであった。

バブル崩壊後の就職難

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時代は世紀末199×年。


“バブルが崩壊”して間もない頃で時代は
“不景気”とされていた。


ポケベルが連絡ツールの主体であった時代。


携帯電話はまだまだ、普及していなかった。


我輩が就職出来たのは“運”も良かったのであろう。


当初は『パル工業』に履歴書を送る所まで
考えていた我輩であったが、本社が“大阪”と、
遠い事を理由に断念していた。


我輩が“最重要視”していたのは

『職場の近くに寮を完備している企業』

であった。


“パチスロ”以外に興味もなかった為、
そんな中、薦められるがまま、受けた企業に
たまたま、受かってしまった。


新宿に位置する、それなりの大きい

『シティホテル』

である。


寮は中野区に有り、自転車でも20分程で
通える位置であった為、即決した。


何より、満員電車は“倒れる”程嫌いであった為、
電車に乗らなくて良いのはかなり、大きかった。

社会人としてデビュー

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199×年に社会人としてデビューした。


同期は約60名程いた。
その中でも男子寮生は9名程。


金銭的な面でも両親には迷惑を掛けていた為、
早く自立し、実家を出たかった。


そんな願いが叶った新生活のスタートである。


当時の寮は2人1部屋。


寮費は4,000円と破格の安さである。


1人部屋であれば倍の金額を取られるが
それでも8,000円


中野区に8,000円で住めるのであれば
喜んで入居する金額である。


トイレ、風呂、キッチンは共同であり、
洗濯出来るランドリー的な物も完備していた。


更に、寮の近くの飲食店2店で使える

『補助券』

“1日1枚”申請すれば支給され、
300円の飲食代が会社から補助される。


会社には『従業員食堂』が完備され、
出勤時は1食250円でお腹一杯食べられた。


とても優遇された環境であった。


給料を除いては。


とにかく、ホテル業界は給料が安かった。


これだけは長く勤めていても先が見える程、
魅力がなかった。


我輩は働きながら兼業で

『パチスロで稼いでいた』

為、生活出来ていたがお金を貯めるには
1日の内の2食を『従業員食堂』で済ませる
ぐらいの事しなければ貯める事など不可能な
環境であったろう。


最初の1年は配属先は決まらず、
研修で様々な部署に配属される。


そんな中、相部屋であった“相方”とも生活は
バラバラとなり、いつしか、
歪が生じるのであった。


第29話に続く。。。
>>さむらい物語 第29話 ~さむらい5回リミット機を語る~

本日はこれにて御免!

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