さむらい物語 第59話 ~さむらい至極の一杯を語る~

やあやあ、さむらいであるw


新たに購入した“モバイルノートパソコン”
“初期不良品”であった為、返品し、他メーカーの
“モバイルノートパソコン”を改めて購入し、それが
やっと、届いたのである。


とは、言っても“2〜3日前”であるがこちらは
“初期不良”もなく、しっかり動いてくれている。


スペック的には現在、メインで使用している
“デスクトップパソコン”よりも良い、スペック。


画面が小さい事を除けば“サクサク”動いてくれて
いる。


何より驚いたのが“SSD”の起動の早さ。


“HDD”ではパソコンを起動してから使えるように
なるまで“2〜3分”掛かっていたものが、
ものの数秒。


もちろん、“シャットダウンや再起動”も早い。


“HDD”よりも値段は張るものの、“圧倒的な時短”
になるのでパソコン購入時には“SSD”にする事を
お薦めするw


さて、本日は単発ながらも忘れられぬよう、

『さむらい物語』

の更新をさせて頂こう。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩、さむらい
『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には
“記憶違い”等が含まれている可能性が
ある事もお断りしておくw


当時から、『パチスロ』で生きていく“決心”
していたさむらいは将来、

『スロプロ』

になる事を“決意”していた。


しかし、まずは苦労を掛けた両親への
感謝の念から、『野望』を胸に“ホテル”
就職したさむらいであった。


この当時、『ぱちんこ』“保留玉連チャン機”
“確変2回ループタイプ”などの“連チャン機”
“強制撤去”が段階的に進めらた。
“台替機”には“最大連チャン数”
『5回まで』に規制された“機種”


まさに『ぱちんこ』“氷河期時代”


しかし、『パチスロ』
『技術があれば勝てる時代』から
“CT機”の登場を皮切りに、

『劇的な進化』

を遂げていく。


“新基準機”と称し、『大量獲得機』が登場し、
その“1か月後”には『セブンライン機』が登場
していたのである。


明らかな盛り上がりを見せる『パチスロ業界』
あった。

思い出の機種

アステカ©エレクトロコインジャパン

『アステカ』“エレクトロコインジャパン”
(現エレコ)の販売する“4号機”であり、代表する
“CT機”である。


以前の『ウルトラマン倶楽部3』などの“CT機”
登場で今か今かと、心待ちにされていたのでは
ないか?と、思うが本機『アステカ』“1999年”
販売であり、若干、後発であった。


『ウルトラマン倶楽部3』の記事はこちらから
さむらい物語 第50話 ~さむらい新年会代表へ~


その分、完成度は高く、多くの“パチスロファン”
魅了する。


“2コマ分を要したチェリー絵柄の丸い塊”、通称
“デカチリ”と呼ばれる“塊”を狙うだけで“CT中”
おろか、“リプレイハズシ”も出来るとあらば、
多少、“目押しの苦手な方”でも十分に“CT機”
堪能出来る仕様になっていた。


当時の“ユニバーサル系”“打ち手寄り”であった
為、とにかく、スペックが甘い


“CT機”と言う事で“技術介入度は高く”なるが
“フル攻略時”では“設定1”出玉率が100%を軽く
越えてしまう


現在のハナビでも同じような事を言っているが
“比”じゃないw


“設定1で101.99%”と謳われていたのであるw

ボーナス抽選確率
設定BIGPAYOUT
11/315101.99%
21/273109.84%
31/244116.63%
41/221123.34%
51/202129.99%
61/180139.37%

まぁ、“設定1で102%”は良いとして、
“設定2から109%越え”ってw


“設定6”は圧巻の“139%越え”であるw


1日で『バジリスク絆』“設定6が2台分”かw


今、思えば“狂った時代”であったと言えようw


一般人であった我輩は“設定6”こそ掴んだ事は
なかったが、“設定4”程度なら打てていたのである。


当時は“設定発表”から“設定確認”、何でも有り
と、言う時代であったw


ちょうどこの</ strong>『アステカ』を出した頃、“アルゼ”
(現ユニバーサルエンターテインメント)が
“CT機の特許”を巡って他メーカーを訴え、
大きくもめる事になる。


最高裁まで上告し、最終的には“アルゼ”の敗訴と
なり、棄却されるのであるが、この訴訟問題で
“CT機はアルゼ系列だけの独占市場”となって
しまうのであった。

至極の一杯

青葉©中野青葉 特製中華そば

我輩が住んでいたのは中野区。


そこにホテルの“男子寮”があり、彼女の住まいも
杉並区で“徒歩で15分程度”と近場であった。


徒歩圏ではなかったが、“野方ホープ”“味噌一”
“なんでんかんでん”など、“環状7号線”を中心と
した有名なラーメン店が軒を連ねる地域であった。


そんな地域で我輩は

『至極の一杯のラーメン』

と出会う。


言わずと知れた

『中野の青葉』

である。


今でこそ、“名を連ねるチェーン店”であるが当時は
“単店”


初めて訪れた時は並んですらいなかった。


店は小さく、L字型のカウンターに“8名”座ったら
満席と言うたたずまい。


彼女と“中野”で軽く飲んだ後、ふと、“ラーメン”
食べたくなり、たまたま立ち寄ったのが『青葉』
であった。


時間はまだ、“21時前頃”だったと記憶している。


メニューには“中華そば”“つけ麺”のみ。


“普通”“特製”か、のみの4択であった。


何とも“硬派な店”かと思った。


余程の自信があるのか、当時の“ラーメン屋”でも
ここまでメニューが厳選されているのは
珍しかった。


飲んだら食べたくなるのが“ラーメン”


その時はさほど、期待もせずに対峙したが何とも、
“ラーメン”が輝いて見えたのであるw


“トンコツ系”も食しはしていたが、“あっさり”
したいわゆる、“中華そば”が好みであったが
初めて『青葉』を食べたこの時、“戦慄が走った”
のである!w


『自分の好きなラーメンはこれだ』

と、はっきりとわかったのである。


サバ節から出汁を取ったその“ラーメン”
“魚介系”とか、“煮干し系”などと言われるジャンル
になるのであろうが、我輩の中ではこの

『青葉のラーメン』

が全ての“ラーメンの基準”となる、
それほどの出会いであった。

総括

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それからと言うもの足蹴なく通い、いつの日か
並ばなくては食べられぬようになり、夕方には
“スープ切れで売り切れ”と言う繁盛店になった。


“新中野”に2号店を出してから徐々に
“チェーン展開”をし、いつしか、胡椒アレルギーなのに
マスクをしながら胡椒を振っていた“大将の姿”
見なくなっていた。


“チェーン展開”をすると味が落ちると思われるが
『青葉』は安定して美味いとは思う。


しかし、一つ、難点を言わせてもらうと、

『ぬるいっ!』

のである。


『中野の青葉』で食べていた時に、このような事は
感じなかったのであるが、最近、懐かしく思い、
食べた際、店舗は違えど、どちら店舗の
“ラーメン”もスープがぬるかったのが
とても残念であった。


いつまでも我輩の“ラーメンの基準”でいられるよう
精進してほしい所である。


第60話に続く。。。
さむらい物語 第60話 ~さむらい沖縄へ行く~

本日はこれにて御免!

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『青葉』は安定の美味さだよね!と言う、
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