さむらい物語 第24話 ~さむらい当時の攻略法を語る~

やあやあ、さむらいである。


昨日、登録した『Google+ページ』であったが、
上手く連携が取れていなかったので
しばらくは保留とさせて頂く事とする。


何でか、個人のアカウントに連携されてしまう
不具合が発生し、その原因はわからずである。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw


『パチスロ』にハマり、『パチスロ』
生きていく決心をしていたさむらい
『パチプロになる』決意をし、
両親に宣言するも軽く却下。


高い学費を払ってまで進学する事となる。


4号機が登場し、3号機との共存時代。
4号機でも『裏物』が登場した。


その『裏物』の代表格である

『パル工業』

の台に魅入られていたさむらいであった。

思い出の機種


©尚球社

『ジャックポットⅡ』は尚球社の4-1号機である。


なぜ、ここで『ジャックポットⅡ』
取り上げるのかと言うと、

『嘘のような攻略法』

が通用した機種だったからである。


その名も

『せっかち打法』

である。


なんと、この機種は『早く打つ』だけで

出る

夢のような台だったのだ!w


『嘘のような台であろう?w』


だが、この時代には実在した。


メジャーなやり方はこうである。

▼せっかち打法▼
3枚投入し、間髪入れずにレバー押下

左ストップボタンを連打

左リールが止まったら、間髪入れずに中右も押す

これをフルウェイトで消化する
*出来るだけストップボタンが点灯しないように
消化するのがコツ

今では当たり前である『MAXベットボタン』
初採用したのが尚球社である。


『MAXベットボタン』の採用で
操作性は格段にアップする。


元々、あった『ネタ(攻略法)』ではあろうが
これが世に発覚したのはこれもまた、

『読者投稿』

によるものだったと記憶している。


早く消化すると小役が揃い易くなり、
ボーナスに繋がると言う読者の投稿を検証したら

『ガチネタ』

だったと言うw


実際は尚球社3-1号機である

『チャレンジマン』

から採用していた
『ストップボタンで乱数を拾う抽選方式』
を採用した本機が同じように狙えたと言う
『傷ネタ』であった。


強者は連打せずともまた、
『体感器』などの特殊な機器も使用せずに
タイミングを計って狙えていたと言うのであるから
驚きである。


今では考えられないが、そんな嘘のような機種や
『攻略法』が蔓延している時代であった。

時代は技術介入機時代

クランキ―コンドル
©ユニバーサルエンターテインメント

改めて言うが当時は

『クランキ―コンドル』

等が流行り出した

『技術介入機時代』

真っただ中である。


なぜ、こうも『裏物』『傷ネタ』
紹介するかと、言うと我輩が

『好きだったから』

に他ならないw


我輩には技術もあった。


さすがに『7.8枚交換』では打たなかったが
『メインのマイホ』で夕方等に打つ台がない時は
そこそこ、打っていたのである。

当時のさむらいは?

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地元から離れ、いつしかその生活にも
慣れていた。


地元へ行く為に『バイク』を買うつもりでバイトをし、
必死で貯めた貯金は『パチスロ』で使い果たし
パンクしかけた所に『ビガー』で救われ、
『趣味打ち』ながらもある程度の蓄えを
持つ事も出来たのである。


当時は既に『バイク』を買うお金は貯まっていたが、
どこか『冷めていた』我輩は『バイク』
買う事は止めていた。


地元に行く事も極端に減り、
『パチスロ』に明け暮れる日々。


そんな中、『さむらい家』では大変な状況に陥る事となる。


『来年の学費が払えない』

むしろ、進級する為に必須である

『学業行事』

にすら、参加させられそうもない、と
そう、親に告げられたのであった。


第25話に続く。。。
>>さむらい物語 第25話 ~さむらい人生の転機に倒れる~

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