さむらい物語 第25話 ~さむらい人生の転機に倒れる~

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やあやあ、さむらいである。


身体は昔から丈夫であり、滅多に風邪もひかない。


むしろ、風邪をひいた事に気付かない
レベルである。


熱にも強く、38度位までは普通の生活が送れる。


風邪をひいてしまっても一日寝て、
大好きな『お雑煮』を食べたら治っていたw


消化には悪いが『お雑煮』であれば食欲なくても
食べられたw


ただ、タフなのが仇となり、

『自分の限界点』

もわからない、我輩であった。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw


『パチスロ』にハマり、『パチスロ』
生きていく決心をしていたさむらい
『パチプロになる』決意をし、
両親に宣言するも軽く却下。


高い学費を払ってまで進学する事となる。


4号機が登場し、3号機との共存時代。


『技術介入機時代』に突入しながらも
『裏物』にハマっていた。


そんな最中、『さむらい家』は窮地に立たされていた。

思い出の機種

007
©高砂電器

いやはや、素晴らしいビジュアルであるw


『007』高砂電器(元アビリット、現ベルコ)の4号機である。


当時、『マイホ』にも本機『007』が設置されていた。


しかし、『第2のマイホ』に設置されている
『007』は別格であった。


『マイホ』『007』『裏物』かどうかすら
微妙な位置であったが『第2のマイホ』
『007』は違う。


まず、バックライトが衝撃の

『赤色』

だったwww


いやいや、さすがにそれ、ダメでしょ!!!


見たらわかる『違法改造』
やん!(宮川大輔風)


神奈川県は『イケイケ』であった。


もちろん、例に漏れず

『バッキバキのハウス物』

であったのは言うまでもない。

当時のさむらい家は?

家庭

家庭の事情なので簡単に説明するが、
まず、『ガテン系』で働いていた父が足を骨折し、
全治6カ月となった。


母親も『オペレーター』として働いていたが
『声が出なくなる』と言う、
『オペレーター』として致命的な病気に倒れ、
『さむらい家』ピンチに立たされていた。


その結果、収入は滞り、生活出来るか否か、
と言う、状況であったのではないか?
と、振り返ってみてそう、思うのである。


そんな最中、年に1回の

『学業行事』

参加せねばならない時期になった。


この『学業行事』に参加しないと単位がもらえず、
留年を認めない我が校は

『不参加=中退』

を意味していた。


しかし、それには『甚大な旅費等』が掛かるものであり、
当時の『さむらい家』では到底、
払える物ではなかった。


『パチスロ』で蓄えた金があるじゃんw


そう、思われた門下生(読者様)も多いだろう。
我輩もそう、思った。


家庭がピンチな時に出し惜しむ物ではない。


しかし、その『学業行事』をパスした所で
来年の学費が払えない状況に変わりはなかったのである。


いくら、軍資金を貯めたと言っても年間掛かる学費には
到底、足りる物ではなかった。

我輩がとった行動とは?

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『冬休みの間、毎日バイトをする』

これが我輩のとった行動であった。


『学業行事』だけなら貯蓄で払えた。


しかし、両親がそのような状況に陥っているのに

『パチスロで得たあぶく銭』

を見せられる状況ではなかったのである。


ここが、人生の転機だったのであろう。


当時、働きに出ていた友人に頼み、
現場の『バイト』を日雇いでさせてもらう事になる。


初めて『パチスロ』を一緒に打ちに行った
今でも付き合いが続いている

『友人(悪友)』

にであるw


急な話しではあり、

『冬休みの間、三が日を除く全ての日』

で幾ら『給料』が必要なのか相談した。


現場の経験など皆無である。


『パン屋さん』でパンをこねる事しかした事ない
我輩であったが友人の親方に条件を
飲んでもらえる事が出来た。


但し、条件は『無遅刻無欠勤』であった。

現場

作業

現場の朝は早かった。


親方が迎えに来てくれる駅まで毎朝、
始発に近い電車で向かっていた。


身体が丈夫なのは昔からであり、
何の問題もないと思っていたが慣れない
環境のせいか我輩は風邪をひいてしまい、
風邪を拗らせ、年末の最終日に39度
越える高熱を発症してしまう。


しかし、『無遅刻無欠勤』が条件であった為、
我輩は休まなかった。


そんな体調の中、現場に行ったのである。


体調が優れない事は親方にも伝えていた。
しかし、いざ現場に降り立った所で
我輩は記憶を失った。

見知らぬ天井

空

見知らぬ天井ならぬ、
気が付くと車の助手席であった。


我輩が倒れた事で現場を午前中で
引き上げる事になり、帰路の途中であった。


友人は

『さむらいのおかげ早く帰れたよ』

と喜んだふりをしてくれた。


しかし、手伝う所か、会社や現場には
『甚大な被害』を与えてしまった事であろう。


年明けに現場に復帰はするものの、
体調は万全ではなかった。


事実、学業が始まった初日にも
病み上がりであった我輩は
満員電車で倒れ、そこでも友人に救われた。


『無遅刻無欠勤』を条件に働かせて頂いたにも関わらず、
使い物にもならず、むしろ現場に迷惑を掛けてしまった。


給料も『必要額』に達する事もない。


我輩の学業生活もここで終わりと覚悟を決め、
両親には学校を中退したら

『パチプロになるわ!』

と、人生二度目の

『パチプロ宣言』

をするw

総括

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一日、半休となり、給料も満額には満たないであろう。
いよいよ進級出来ない、と、諦めていた。


しかし、親方は違った。


39度の熱でも現場に来た我輩を評価してくれたのである。


友人のその日の給料は『半日分』であったにも関わらず、
我輩には『必要額』のお給料、満額くれたのであった。


今でも、親方の男気は忘れもしない。


そのおかげもあり、無事、

『学業行事』

には参加する事が出来た。


その後、進級出来るかどうかであったが、
その時期に、ちょうど母方の祖母が病で亡くなった。


幾ばくかの貯金があったのか、
次の年の学費もそこから当ててもらい、
進級出来る事となった。


今の我輩があるのは祖母のお陰でもあったと、
今でも感謝している。


長くなってしまったが、こうして我輩は

『働いてお金を稼ぐ事の大変さ』

『人の人情』

を、知る事が出来たのである。


こうして、『裏物』ばかりに走っていた我輩であったが、
『お金』の大切さを知り、今までの立ち回りを反省し、
堅実に『技術介入機』を攻めるようになるのであった。


第26話に続く。。。
さむらい物語 第26話 ~さむらいモーニングの終焉~

本日はこれにて御免!

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