やあやあ、さむらいである。
『新章』突入の前に語らねばならぬ事があった。
『パチスロ』の事だけ語っていたが、
『ぱちんこ』
に関して一切、語っていなかったのである。
前回までのあらすじ
『さむらい物語』とは我輩の『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこう、
と言う趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は妄想が含まれている事を
お断りしておくw
『パチスロ』にハマり、『パチスロ』で
生きていく決心をしていたさむらいは
『パチプロになる』決意をし、
両親に2度、宣言するも軽く却下される。
高い学費が払えず退学の危機に陥っていた
我輩であったが、祖母のおかげで学業を謳歌出来た。
4号機中心の時代であった。
『働いて稼ぐ事の大変さ』
を知り、自らの立ち回りを『堅実な物』と改め、
時代は『モーニング撤廃』となったのである。
思い出の機種
©平和
『麻雀物語』は平和を代表する名機である。
時代は遡る事となるが、業界初の
『液晶搭載機』
として話題となった。
そして、当時の現金機は
『保留玉連チャン』
が当たり前の時代。
大当たり中に貯まる4個の『保留玉』で再度、
大当たりすると言う物であった。
大当たり確率を変動する事を認めていなかった当時、
『保通協』の審査を巧妙にかいくぐり、
大当たり中の『保留玉』を書き換え、
連チャンさせるのが『保留玉連チャン機』である。
『保留玉連チャン機』は明らかな違法機であったが、
『CR化』によって『売り上げ管理の徹底』を
押し進めるべく、
『保留玉連チャン+確率変動』
が認められた
『CR花満開』
が世に放たれた。
『射幸心バリバリ煽る連チャン機』
の誕生である。
かつてない連チャン機
©西陣
『CR花満開』は西陣の代表する名機である。
当時の『ぱちんこ事情』であるが、
『保留玉連チャン機』が主流の現金機時代であった。
『脱税』が当たり前のように行われていた時代。
脱税対策の為、
『第三者管理』
による、『売り上げ』の徹底管理を行う為、
『CR化』を押し進めるべく『ぱちんこ業界』が
『かつてない連チャン機』
を認可し、投入した。
それを代表するのが
『CR花満開』
である。
大当たり確率は『3段階設定』であり、
『確率変動突入率』は1/7.5で突入する
『333か777』。
『確率変動突入後』は『6/15で確変が2回ループ』
する物で、
更に、大当たり終了後の『保留玉の4個目』は
『1/8の確率』で大当たりが『連チャン』すると言う、
今では考えられない程の
『バッキバキの連チャン機』
であった。
みなし機の撤去
そんな『バッキバキの連チャン機』を認め、
『CR化』を半ば強引に押し進め、
『CR化』が普及された。
しかし、『CR化』が進むと
『バッキバキの連チャン機』であった『CR花満開』などが
『社会的不適合機』
とされ、強制撤去を命じられたのである。
当時のさむらいは?
バリバリの『技術介入機時代』に
堅実な立ち回りをしていた我輩は親には語れぬ程の
『軍資金』
を貯めこんでいたw
就職活動をしていた我輩であったが、
当時、愛してやまない、
『パル工業』
に就職を試みようとしていたw
しかし、本社が大阪と遠い事もあり、
断念したのである。
両親には苦労を掛けながらも無事、
卒業させてくれた感謝の気持ちから、
就職活動は頑張った。
事無くして、比較的大きい都内の『ホテル』への
就職が決まったのである。
そして、学生最後の春休み。
『みなし機撤去』
が決まっていた為、思い残す事のないよう、
最後は好きな台を好きなだけ打とうと、
『CR花満開』
を1ヶ月間打ち散らかしたw
朝一に設定変更を行っていた『マイホ』。
朝イチのランプの『ズレ』で設定変更が見抜けた為、
『釘』よりも
『凹み台の設定上げ狙い』
を主軸に経ち回った結果、
『30万円程』
負けた我輩であったw
だが、就職を前に後悔する事なく、
社会人への道を歩む事となるさむらいであった。
第4章、第28話へ続く。。。
>>さむらい物語 第28話 ~さむらい就職する~
本日はこれにて御免!
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