やあやあ、さむらいである。
我輩の“パチスロ”との出会いから赤裸々に
その“足跡”を綴ってきた
『さむらい物語』
であるがとうとう、“50話”を越える
更新となった。
ここまで、深く掘り下げ、綴るつもりも
なかったのだが、意外にも“パチスロ”以外での
“ホテル”の話しも好評頂いている。
そんなおり、“50話”達成を記念してまたも
“おすし”が新たな作画をしてくれた。
『さむらい物語ホテルバージョン』とでも
言おうか、“新宿の高層ビル街”を思わせる、
中々の出来栄え。
まだ『ホテル編』は続くのであるが今後も
『さむらい物語』を始め、
『さむらい流スロプロ道』をお願い致す。
前回までのあらすじ
©おすし
『さむらい物語』とは我輩、さむらいの
『過去の記憶や足跡』と
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。
一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には
“記憶違い”等が含まれている可能性が
ある事もお断りしておくw
当時から、『パチスロ』で生きていく“決心”を
していたさむらいは将来、
『スロプロ』
になる事を“決意”していた。
しかし、まずは苦労を掛けた両親への
感謝の念から、『野望』を胸に“ホテル”へ
就職したさむらいであった。
この当時、『パチスロ』は
『技術があれば勝てる時代』と
打ち手にとってはこの上ない状況に対し、
『ぱちんこ』は『みなし機』と呼ばれる
連チャン機の“強制撤去”が段階的に進められ、
その“台替機”には最大連チャン数が
『5回まで』に規制されていた。
まさに“ぱちんこ氷河期時代”を迎えていた。
本配属前の研修期間最後に配属された
『ロビーサービス』。
“ベルマン”と言う職種に就けたのは我輩一人。
そんな中、毎年恒例行事となっていた
『新年会』
の催しに“部署代表”で半ば、強制的に
参加させられる事となる。
思い出の機種
©ネット
『ドラキュラ』(サムネイル画像参照)は
“ネット”の“4-1号機”である。
“裏物感”漂う本機『ドラキュラ』であるが、
我輩は“ノーマル機”しか打った事がない。
“ネット”は“日活興業”時代から
“ドラゴンシリーズ”を始めとする機種を
コンスタントに販売。
“ヒット機種”には恵まれなかった
“ネット”であったが、そんな苦戦する中、
“社名変更”後、『ドラキュラ』が一番売れた
のではなかろうか?
“日活興業”時代の話しはこちらから
さむらい物語 第38話 ~さむらい給料を語る~
本機『ドラキュラ』は“Aタイプ”に属し、
“リプレイハズシ”効果も“+8.5枚”と少なく、
“小役目押し”効果もメイン小役である
“12枚役”が引き込み100%であった為、
バラつきはあったが効果は薄かった。
当時の“技術介入機時代”にはそぐわない
機種に感じるが、ホールにとっては“重宝”出来る
機械であった。
なぜなら“激辛機種”であったからに他ならない。
どちらも“メーカー発表値”ではあるが
“設定1”の出玉率が“90.36%”と激辛で
“設定6”でも“102.73%”と言う驚異的な
“辛さ”である。
この“甘い機種”ばかりが流行っている時代に
“辛さ”と“機械代の安さ”を売りに
“マイナーメーカー”ながらも着実に支持を
集めた“メーカー”であった。
そんな中、時代を先進する“CT機”である
上記『クロスCT』を販売する。
『クロスCT』は“ネット”の“4-1号機”であり、
“ネット”初の“タイアップ機”でもある。
昨日の記事でも取り上げたが、
『ウルトラマン倶楽部3』より先に
“保通協の適合”を受けていた本機であったが、
販売時期が『ウルトラマン倶楽部3』よりも
後発だった為に“日の目を見る事”は
少なかった。
本機『クロスCT』は“BIG”後に
リールの右側に位置する、
『スピンラックインジケーター』
が時計回りに周り、上下の“HIT”に停止すると
“CT”突入となる。
“CT”突入率は1/2。
“純増101枚”を越えるか“90P消化”、
もしくは“ボーナス成立”で終了となる。
『ドラキュラ』と違い、“リプレイハズシ”
効果が高く、約“+33枚”獲得出来た。
また、『ウルトラマン倶楽部3』比べ、
“CT中”の難易度が高かった。
打った記憶は少ないが、実質的な“初CT機”として
時代に名を残した機種である。
新年会の代表に選抜
『新年会』の“催し物”として各部署毎に
選抜された“新入社員”が代表となり、
『新入社員対抗カラオケ大会』
が開催される事となる。
我輩が配属された“ベルマン”の属する
『ロビーサービス』に配属された“新入社員”は
我輩だけであり、半ば強制的に“選抜”
されたのであった。
人前で歌った事など経験がない。
“カラオケ”に行くのとはわけが違う。
収容人数が最大でも“500名”と言う宴会場の
ステージで生バンドの生演奏による“カラオケ”だと
言うのであるからただの“カラオケ”と違うのは
明白であった。
もはや“ライブ”であるw
さて、そのような席でどうしたものか?
と、悩んでいた。
例えば、“レストラン”が属する『料飲部』に
配属された同期は多数いる為、グループでの
出場が可能である。
しかし、我輩は1人で出場せねばならない。
果たして何を唄うべきか悩んでいた。
“バラード”系でしっぽりと攻めるか
(←結構やる気)“3枚目”に徹して場を
盛り上げるべきか。
本気で悩んでいたw
選曲
この当時、年代としては“96年~97年”。
そこまで詳しくないが流行っていたのは『GLAY』
や『イエローモンキー』、『スピッツ』などが
あげられるか?
そんな中、絞ったのは“バラード”系でいくなら
『GLAY』の“ずっと二人で”。
この時はまだ“シングル化”はされておらず、
そこまで流行っていたわけではなかった。
場を盛り上げるなら『T.M.Revolution』の
“WHITE BREATH”の2択となった。
ここで既に色々な“ツッコミ”を頂きそうであるが
当時は我輩もまだ、若かった為、
ご容赦頂きたいw
今はなくなってしまったが新宿の東南口に
当時の彼女の行きつけの“カラオケバー”があった。
そこはちゃんとしたステージがあり、唄う前には
MCのナレーションが入り、そこから唄い出す。
人前で唄う事に慣れていない我輩であったが
練習するにはうってつけの環境であった。
どちらの曲も好評であったが観客(他の客)の
ウケも良く、何より盛り上がった快感が
忘れられず、止せばいいのに我輩が選んだのは
『T.M.Revolution』の
『WHITE BREATH』
であった。
リハーサル
曲を決め、それを“イベント”担当に告げた。
衣装代として“1万円”までの補助が出るとの事から
紫色のフサフサとした動物の尻尾のような長めの
マフラーを購入した。
そして、本番の1週間程前に音合わせと称し、
生バンドとの1回のみの“リハーサル”が行われた。
他の同期はグループで“スピード”を唄うなど、
大抵がグループ参加。
しかし、“ライバル”として一人の存在が。
一人で出る等、我輩だけであろうと思っていたが、
わざわざ、多数の同期がいる“料飲部”の代表にして
一人で出ると言う。
しかも、同期の中では“大人しい彼”が人前で
唄うなど、と、勘ぐっていた我輩が甘かった。
一見、“大人しい彼”が選曲したのは“B’z”。
なんと、“大人しい彼”が“エアギター”の一芸を
引っ提げての参戦である。
この“大人しい彼”がやる“エアギター”の
ギャップには“リハーサル”ながらも
周りは大ウケw
次に我輩の番となったのだが、彼の後では
もう“二番煎じ”のような空気が
流れただけであった。
ここで、まだ選曲を“ずっと二人で”に
変更し、別路線で望めば良かったのだが、
無駄な対抗意識から“WHITE BREATH”で
望む事となる。
果たして、この選曲は正しかったのであろうか?
次回はいよいよ、本番である。
第52話に続く。。。
本日はこれにて御免!
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おすしの挿入画が良いじゃん!と、思われた
門下生(読者様)はさむらいの
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