さむらい物語 番外編 ~さむらい帰宅難民に~

やあやあ、さむらいである。


“東日本大震災”が発生して早、7年の月日が経った。


この日を迎えると毎年、“震災”から何年経ったと報道されるが、その都度東京へ戻って何年経ったのかと、その時の事を思い出すのである。


本日は『あの日を忘れない』と言う、思いから

『さむらい物語番外編』

として、我輩が経験した“震災”の時のお話を綴らせて頂こうと思う。

さむらい物語とは

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『さむらい物語』とは我輩、さむらい『過去の記憶や足跡』『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。


中には“記憶違い”等が含まれている可能性がある事もお断りしておくw


今回の話しは『番外編』である。


とある、“スロットメーカー”千葉営業所“営業マン”として働いていた我輩であったが、退職した事を機にいよいよ、“専業”を目指す事となる。


そのまま、千葉で“専業”を続けていたが、元々は東京の人間であった我輩は、マンションの更新のタイミングで東京に戻る事にしたのであった。


この時既に、“専業”になってから2年半の月日が経っていた。

いざ、東京へ!

東京駅

東京に戻り、3カ月ほどが経った頃。


東京での稼働も慣れてきた頃であった。


初めは電車で30分圏内の店を見て回り、可能な限り、メール会員になった。


今は“広告規制”で派手な煽りは規制されているが、当時はどこも“イベント合戦”が当たり前であり、毎日、どこかしらでイベントが開催されていた為、行動範囲を広げれば行く店に困る事はなかったのである。


“7の付く日”はこの店に、“ゾロ目の日”はあの店の抽選を受けてダメなら移動して別の店へ、と言った感じ。


この日も“ゾロ目の日”という事で定番の店で稼働していた。


南北線沿線のとある店である。


その時、我輩が打っていたのは

『アントニオ猪木が元気にするパチスロ機』

であった。

思い出の機種

アントニオ猪木が元気にするパチスロ機
©2010 INOKI GENOME FEDERATION.
©オリンピア

『アントニオ猪木が元気にするパチスロ機』はオリンピアの5号機である。


本機は“A+ART機”であった。


この当時はまだ、“AT機”が世に出る前の時代であり、『エヴァ系』にも設定が使われていた時代。


同じ時期には『エヴァンゲリオン真実の翼』『新鬼武者』や、『緑ドン』などが主要機種。


特に本機に強い思い入れがあったわけではないが、この日『猪木』を攻めたのは“設定が見抜き易い”部類であったので攻めていた。


“BIG中”には『猪木の名言集』5回、流れるのだが、1回目2回目“実写ムービー”が流れると高設定濃厚と言う、設定差が設けられており、自分の台だけでなく、周りの台の“BIG中”を確認してれば、どの台が“当たり台”かは、自ずとわかるので島に“当たり台”1台といった状況であれば早めに高設定か否か、判断出来たのである。


この日、打っていたのもそう言う理由からであった。


ちなみに本機との相性はすこぶる悪かったのであるw

帰宅難民

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他の台で強い挙動があり、止めようとしていた時、それは起こった。


止めようとドル箱を膝に抱え、メダルをドル箱に移している時に大きく縦に『ドンッ!』と言う衝撃が走り、大きな地鳴りと共に激しく揺れ始め、1回目の地震は悲鳴が聞こえるほど、店内は騒然とした。


さすがに体感した事のない規模の地震の大きさに、只事ではない事は容易に察していた。


ちょうど、止めようとしていた時であった為、メダルを流そうと、ジェットカウンターに並んでいると、2回目の地震が。


さすがに、メダルは遊技台に残して避難してくれと、店員に誘導される。


周りはガラス張りのビルだらけで、逆に外の方が危険なのでは?とも、思ったが誘導に従った。


しばらく外に出されたまま、何も出来ずただ、外で待たされる。


朝から何も食べておらず、飯でも食べようか?と、思っていた所、1時間ほどで店内に入れるように。


JRは全線運休が決定し、南北線も止まっており、この時既に“帰宅難民”となっていた。


先ほどは流せなかったメダルを流そうかと、思ったのだが、普段は空いていないような台がチラホラ見受けられる。


『緑ドン』“1000Gハマり”の台や、早番を引かないと座れない

『この台釘空いてますよー!』

的な札が刺さった台ですら空き台に。


確変中のまま、お客人が戻って来ない台も有り、それでもこの日ばかりはさすがに呼び出して開放とはならなかった。


せめて、ここで休憩でも取って飯を食べておけば良かったのであるが、打てる台が目の前で空いてるならと、稼働を優先させてしまう。


後で後悔するとも知らずに、であるw


“期待値”が積める内はと稼働し続け、気付けば札台“デジ羽”を打って時間を潰していた。


知り合いの“専業仲間”の奥さんが車で迎えに来て、近くまでは送ってくれると言う、手筈であったのだが、道路交通網は麻痺し、友人の奥さんの車は渋滞にハマり、全く動けずにいたのである。


さすがに、歩いて帰るしかないと覚悟を決めた。


しかし、21時を過ぎた頃であったか。


南北線が復旧したと店内アナウンスが有り、稼働を止め、帰宅する事に。


遠回りにはなるが、地下鉄を乗り継げば歩いて帰れる駅まで行けるかも知れないと、淡い期待を抱いていた。


電車に乗ると、南北線以外の一部の地下鉄も運転が再開されたと、車内アナウンスが。


それなら『溜池山王』まで出れば乗り換え出来ると、一旦、『溜池山王』へ向かう。


『溜池山王』に着くも、待てども他の電車が到着する様子はない。


すると、一時は復旧したものの、ホームに人が殺到してしまい、ホームから人が落ちるなどの事故が発生し、またも復旧の目処は立たないとの一報が。


稼働している時は外界から閉ざされた空間であった為、気付けなかったが、ようやく事の重大さに気付くのであった。


南北線まで止まってしまっては困るので『駒込』まで戻り、そこから徒歩で帰宅する事に。


失敗したのは朝から何も食べておらず、夕方も食べずに稼働していた事。


この時の経験も有り、今は稼働よりも休憩を重んじるようになったのかも知れぬ。


マック吉野家などの24時間営業しているようなファーストフード店でさえ、流通網が麻痺していた為、店を閉めていた。


コンビニに行くと食べ物“水”はおろか、“清涼飲料水”の類は全て売り切れとなっており、あるのは“アルコール類”のみ。


事態の重大さに改めて思い知らされていた。


しかし途中、立ち寄ったコンビニ

『たった今、唐揚げ君が揚がりました!』

と言う、店員さんのアナウンスが。


これは有り難いと、ビール唐揚げ君を購入し、この日初となる食べ物に有り付けたのであった。


3月であったが、この日の夜は寒かった。


とてもじゃないが、外でビールを飲むような温度ではなかったが空腹を凌ぐが如く、ビール唐揚げ君を掻き込んだ。


このような状況で営業している店はなかった。


そう諦めていたのだが、やっとこ隣町の駅に差し掛かった所で入った事もないらぁ麺屋
営業しており、中は混雑している様子。


見ると、“手打ちらぁ麺屋”と有り、麺さえ打てば営業出来ると言うスタンスからなのか、“帰宅難民”のオアシスとなっていた。


後で調べて気付いたのだが、普段なら営業終了している時間になってもその店は閉めずに客を迎え入れ、可能な限り営業していたのであった。

総括

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この時食べた“ラーメンと餃子”は格別に美味かった。


今回の経験で普通に食べられる事の有り難みを身に染みて感じる事が出来たのである。


帰宅すると、仏壇が倒れ掛かり、線香の灰が蒔き散らかされていた位の軽傷で済んでいた。


この日を境に“震災直後”のホール状況は最悪な状況となり、稼働が出来なくなる。


ヘソに玉が通らずに乗っかるような調整台が有った程であった。


天井狙いならまだ、稼働のしようもあったが、当時の我輩は設定狙いしかしていなかった為、稼働を休んでいた。


この時、『酒パワー』“私のやきとり”氏から

『一緒に被災地へ行かないか?』

と、誘いを受ける。


そして、“震災”から1週間後に我輩は被災地へと、降り立っていた。


この時の話しは長くなるので機会があればまた、綴らせて頂きたいと思う。


“震災”により、犠牲にあわれた方のご冥福と、今もなお、避難生活を強いられている方へ心より、お見舞い申しあげる。

本日はこれにて御免!

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