さむらい物語 第52話 ~さむらいカラオケ大会に参戦~

やあやあ、さむらいである。


実は先日の友人との飲みの日から“3連休”
頂いた。


こんな稼業であるのだから休みなどいつでも
好きな時に取れるはずなのであるが
“ブログ”を始めてからという物、
突っ走って来たのである。


気づけば今月は“2日”しか、休んでおらず、
“身体が資本”のこの稼業で“身体”
痛めつけてしまっていた。


正月以来の“3連休”であり、近場ではあるが
動物園の“パンダ”に癒されたり、近所に出来た
新しい“銭湯”に行って身体を癒したりと
中々、充実した“3連休”を過ごさせて頂いた。


今後も身体を壊さぬ程度に頑張っていく、
所存である。

前回までのあらすじ

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『さむらい物語』とは我輩、さむらい
『過去の記憶や足跡』
『パチスロの歴史』を重ねて振り返り、
見ていこうと言う、趣旨の『物語』である。


一部、年齢などの部分は“妄想”もあり、中には
“記憶違い”等が含まれている可能性が
ある事もお断りしておくw


当時から、『パチスロ』で生きていく“決心”
していたさむらいは将来、

『スロプロ』

になる事を“決意”していた。


しかし、まずは苦労を掛けた両親への
感謝の念から、『野望』を胸に“ホテル”
就職したさむらいであった。


この当時、『パチスロ』
『技術があれば勝てる時代』
打ち手にとってはこの上ない状況に対し、
『ぱちんこ』『みなし機』と呼ばれる
連チャン機の“強制撤去”が段階的に進められ、
その“台替機”には最大連チャン数が
『5回まで』に規制されていた。


まさに“ぱちんこ氷河期時代”を迎えていた。


本配属前の研修期間最後に配属された
『ロビーサービス』
“ベルマン”と言う職種に就けたのは我輩一人。


そんな中、毎年恒例行事となっていた『新年会』
催しに“部署代表”で半ば、強制的に
参加させられる事となった我輩が選曲したのは
『T.M.Revolution』

『WHITE BREATH』

であった。

思い出のホール

アレンジボール©藤商事

本日は“懐かしい台”ならぬ、“懐かしいホール”
紹介させて頂く。


当時、中野区に住んでいた我輩は“中野駅”
ほど近い場所であり、ちょくちょく、
訪れたいた。


何口であったか、記憶は定かではないが
中野サンプラザとは逆口。


駅を背に“中野通り”を真っすぐ歩き、
10分も経たずして左手に見えるのは

『東京プラザ』

である。


“昭和間漂う店内”に入ると更に
“タイムスリップ”したような異空間である。


設置されているのは“ぱちんこ”“ぱちんこ”でも
“手打ちぱちんこ”であった。


“雀球”と呼ばれるその機種は正直、
“メーカー”はどこだったか覚えていない。


“ぱちんこ機”であはあるのだが、遊技には
“専用メダル”を使用する。


手打ちで弾いた玉で“麻雀の役”を構成し、
見事役を形成出来たら“メダル”が払い出される。


文章にすると一見、面白くなさそうではあるが、
玉、一つ一つの動きを追っていると
“ぱちんこ”本来の面白さを思い出す。


恐らく、関東圏では皆さんご存知、

『パラッツォ』

“屋号”位は聞いた事があるのではないか?


『パラッツォ』の本社は新宿にあり、
当時の社長は我輩の勤めるホテルに良く、
“ランチ”などで使ってくれていた。


『パラッツォ東京プラザグループ』の前身はこの、
中野の“雀球専門”『パラッツォ』
発祥の地であったらしい。


恐らくではあるが現在、営業はしていない
のではなかろうか?


“雀球”の画像を持っておらず、
当時の“手打ちぱちんこ”の代表として
“アレンジボール”を載せさせて頂いた。


実際に設置されていたのは紛れもなく
“雀球”であった。


後に、“Sammy”『ドリームジャンベガス』で、
“じゃん球ぱちんこ”を復活させ、
半ば強引に販売するが、全然、
流行らなかったw

ギャップ

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生バンドとの1発のみの音合わせ的な
“リハーサル”を終えた我輩であったが、
“一抹の不安”を抱えていた。


そう、普段は“大人しい彼”の曲芸ならぬ“極芸”
『エアギター』である!


あれは、“1日”やそこらで習得出来るような
ものではない。
数々の“場”であの“極芸”を披露しては
“場”を盛り上げて来たのであろう。


熟練されたその“極芸”はその“大人しい彼”からは
想像が出来ない激しい動きからなされ、
その“ギャップ”から生まれる
“相乗効果”も凄まじい。


『料飲部』なら同期の仲間と出れるのに
満を辞しての“独り舞台”を選択している
のだから余程の自信なのであろう。


『やるからには負けたくない!』


そう、奮起し、本番まで“1週間”を切った残りの
限られた期間、東南口の“カラオケバー”に足繁く、
通い、“振り付け”を一から練り直したのであった。

本番

ステージ

新年を迎え、“繁忙期”が過ぎ、普段の落ち着きを
取り戻した頃、“成人の日”とほど近い、平日の日に
それは執り行われた。


昼前から始まった“催し”に休日で
出席している者もいたが“新入社員”のほとんどは
業務中ながらも出席させて貰えていた。


“大人しい彼”に勝つ為に練習も重ねた。
見た目も大事であると新しい、
“細身のオシャレスーツ”も自腹で購入。


職場は制服の為、“スーツ”を必要としないはず
なのに、入社してから既に“3着目”であるw


スーツ1着目の話しはこちらから
さむらい物語 第43話 ~さむらい初のWデート~
スーツ2着目の話しはこちらから
さむらい物語 第48話 ~さむらいゴッドにキレられる~


安心してほしい。
今回は過去の経験から自主的に購入させて頂いたw


本番では“細身のオシャレスーツ”を上半身、
裸で羽織り、紫の長めのマフラーを巻き、
サビの部分で振り回す。
そんな振り付けを考えていた。


舞台袖で衣装に、着替え、順番を待つ。


我輩の出番は“2番手”で、“リハーサル”
感触から“大人しい彼”“最後(トリ)”
務める。


“カラオケバー”で練習を重ね、
培ったはずの自信はなくなり、緊張のあまり、
心臓が飛び出そうであった。


自分はさむらいではなく、“西川貴教”であると
言い聞かせるも、何かがいつもと違う。


そう、“違和感”を覚えながらも考えていると、
とうとう、我輩の順番が訪れた。


“ステージの壇上”に立ち、“300人以上”
“観客(従業員)”を目の前にした瞬間、
我輩の頭の中は“真っ白”になった。

言い訳

落ち込み

いつもと何が違ったのか?


舞台袖で考える。


そう、“酒”である。


いつも、“カラオケバー”では“酒”を飲んで
“舞台”に立ち、唄っていた。


だからこそ、“緊張感”も緩み、唄えていた。


また、盛り上がってくれていた“観客も皆”
“酒”を飲んでいたからこその盛り上がり。


盛り上がるのも当たり前である。


目の前にいる“300人以上”“観客”は皆、
仕事の合間に食事に来ているだけ。


“素面(しらふ)”である。


『言い訳』ばかりが頭を駆け巡る。


緊張し過ぎて頭の中が“真っ白”になった
我輩はあれ程、練習したにも関わらず、歌詞を
飛ばしてしまい、2番の歌詞が出てこず、
“苦肉の策”で1番を2回唄い、その場を凌いだw


もはや、『言い訳』も何も“大失態”w
さすがに司会者も気づき、ツッコまれ、
そそくさと“舞台”を降りたのだった。

優勝者

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優勝の“表彰台”には“大人しい彼”の姿があった。


そう、“大人しい彼”はこのゆうに
“300人を超える大勢の観客”に臆する事なく、
見事、『エアギター』をやり遂げたのだ!


“大人しい彼”が織り成す激しい『エアギター』
“生バンド”とのコラボがさらなる“相乗効果”
生み、会場は“大ウケ”であった。


“酒の力”など借りずとも盛り上がる、
そう、知らしめられた。


この日の出来事が“トラウマ”となり、
“カラオケバー”などでも表立って歌う事は避け、
我輩の持ち歌から

『WHITE BREATH』

“封印”されたのであった。


第53話に続く。。。

本日はこれにて御免!

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